第4話で、かつてタツキが我が子の不登校と直面したときに頼った支援会社は、短期間での再登校を掲げ、「もっと厳しく」と助言。よかれと思って従った結果、息子はかえって苦しむこととなり、家庭が壊れていった。短期間での“再登校”をうたい、高額な費用がかかる「不登校ビジネス」は、当事者のあいだではよく知られた問題だ。周りに頼ることは必要だ。しかしながら、頼り先の見極めも同じくらい大切なのだ。
当事者であるわが家では、定期的に学校へ近況を話しに行く。先生たちが最近「今、フリースクールのドラマやってるよね。通う場所も、ああいう感じなの?」と声をかけてくれるのだ。日々の対応だけでも忙しいはずの先生が、話の糸口にしてくれる。それだけでも、この作品が世に出た意味を感じる。
信じて待つことは、甘さじゃない
我が家の子どもたちも、それぞれの距離でこのドラマを見ている。次男は自分から「一緒に見よう」と誘ってきて、「この子の気持ち、わかる気がする」とこぼした。高校生の上の子は「共感しすぎてしんどいかも」と初回の途中で離れ、下の子は「タツキ好きー」と毎回楽しみにしている。同じ家の、同じ不登校でも、反応はまるで違う。その違いまでもが、このドラマには映っている気がした。
見ながら、何度も「こんな居場所に早く出会えたらよかったな」と感じた。同じ立場の親の多くが、同じことを思っているだろう。そういう場所に出会えるかどうかが、まだ運に委ねられている現実がある。
「甘い」と裁くのは、たやすい。けれど、信じて待てる場所がもう一つあるだけで、救われる子どもがいる。そして、タツキ自身の家庭がどこへ向かうのかも、最後まで見届けたい。
