東洋経済オンラインとは
ライフ #松下幸之助はなぜ成功したのか

松下電器の工場はなぜ全国各地にあったのか 自分のことより他人を優先した

3分で読める
  • 江口 克彦 一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、台北駐日経済文化代表処顧問

INDEX

自分のことよりも他人を優先し、成功した

松下電器の工場は、日本のほぼ全県にあった。なぜそんなにたくさんの場所にあるかといえば、発端は次のような出来事であった。

1966(昭和41)年、販売店の大会に出席するため松下は鳥取県の米子に赴いた。そのとき、たまたま泊まった旅館で朝御飯を食べていると、給仕をしてくれていた女中さんから「ぜひこの米子に、松下電器の工場を建ててください」と頼まれた。

女中さんの切実な思いに心を動かされた

この連載の過去記事はこちら

働く場所が少ないため、最近若い人たちが都会へ出ていってしまう。人が減る一方で、それが非常に寂しいし、今後の発展も望めない。もしここにも工場があれば、働く場所があれば……。だから、ぜひ工場をつくってほしい、という話であった。

それを聞いた松下は、知事や市長から聞くのであればともかく、たまたま泊まった旅館の女中さんまでがそのような切実な思いをしているのだと知って、とても心が動かされた。

経済の高度成長に伴い、都市と地方のあいだで、人口の過疎過密の問題が顕在化しつつある時代であった。のちにほかの県でも同じ問題を訴えられた松下は、当時いちばん人口減少の激しかった鹿児島県をスタートとして、工場の地方進出を実行していった。米子の女中さんの訴えも、のちにマイクロモータの工場として実現した。

さて、結果的に松下電器は、各地域で評価を高め、経営的にもプラスになった。それを見て、「うまくやりましたね」と言う人たちがいた。良質の労働力が安く集まり、土地も安く、宣伝にもなったからである。

次ページが続きます:
【たとえ自分が損をしても、他人のことを考えた】

2/2 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1週間以内の記事が対象