その中で、明治時代の自由民権思想家である中江兆民(1847~1901年)は示唆に富む議論を展開する。

例えば当時、福澤諭吉(1835~1901年)を中心とする論客たちが「脱亜入欧」という前提に立って中国の近代化を推し進めるには、いち早く近代化した日本がその先生となり、中国の近代化を推し進め、中国をアジアから西欧並みの国家にする必要があると説いていた。
こうした考えは、日本がアジアにおいて積極的に重要な役割を務め、アジアの文明開化の中心になるのだという自負にあふれ、そのため、アジア的なるものへのある種の軽蔑と憐憫(れんびん)を含む議論へと導く。
こうした議論は、日本の大陸進出への積極的議論となり、やがて朝鮮半島や満洲に侵攻する積極的交戦論となり、中国人や朝鮮人に対する強い優越感を抱かせることになる。
明治時代に生じた中国に対する軽蔑と憐憫
この議論は、日本人の心に今でも強く残っている。戦後は富国強兵ではなく「経済大国」としてアジアの近代化の先頭を切った日本は、「貧しい国民を豊かな発展に導くのだ」という自負心をもって、朝鮮人や中国人に接している。
1972年の日中国交正常化、80年代に中国が経済の開放政策をとったとき、経済大国として日本はアメリカと並んで中国に対する経済指導を行ってきた。それから10年は、日本もアメリカも中国にとってまさに先生であった。日本の中国残留孤児、シルクロードへの関心の高まりなど、中国への同情と発展を願うメディアによる関連報道が日本であふれた。そして、国民は一種の同情と優越感に浸ったのだ。
しかし、中国経済が次第に日本に追いつき、そして追い越すようになる21世紀になると、「中国嫌い」が再び息を吹き返す。大きな転機は2008年の北京オリンピック開催と2010年に中国のGDP(国内総生産)が日本を追い抜いたときであった。
中国への同情は中国への軽蔑へと変化し、尖閣諸島の問題、台湾問題、中国人観光客への批判など、ありとあらゆることに日本人がある種の難癖をつけるようになった。
