何より世界トップとの距離をリアルに感じられる。こうして黄金世代は日本サッカーの歴史を塗り替えた。
それにしても、なぜ黄金世代はこれほどたくさん海外へ行けたのだろう?
エコノミークラスの移動とはいえ、経費は馬鹿にならない。スタッフを含めて約30人が南米へ1週間遠征したら、少なくとも数百万円はかかるはずだ。その謎を解くカギは、2002年W杯の招致活動にある。
日本は国の威信をかけてW杯招致に乗り出しており、U17日本代表は日本サッカーを各国にアピールする広告塔の役割も担っていたのである。
アジア初W杯の功績
もし2002年にW杯を開催していなければ、日本サッカーはいまだに暗黒期を抜け出せずにいたかもしれない。日本と韓国の共同開催によって実現した同大会は、アジアで初めてのW杯だった。
フィリップ・トルシエ監督が率いる日本代表は、グループステージを突破してベスト16入り。イングランド代表のデビッド・ベッカムやブラジル代表のロナウドといったスターの活躍もあり、日本列島はW杯フィーバーに包まれた。
フジテレビで生中継されたグループステージ第2戦の日本対ロシア戦は、関東地区で66.1%という驚異的な視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。いまだに、これが1965年以降のテレビ業界における最高視聴率となっている。
日韓W杯は、日本におけるサッカーのあり方を変えたと言っていい。
すでにW杯招致を進めるなかで、ポジティブな変化が起こっていた。たとえば、スタジアム建設だ。FIFA(国際サッカー連盟)のルールにより、W杯開催には大型スタジアムがなければならない。
当時、東京にあった国立競技場(現在の国立競技場の前身)ですら、「スタンドの3分の2以上に屋根がついている」というFIFAの基準を満たしていなかった。
グループリーグは4万人以上収容、準決勝・決勝は6万人以上収容がマスト。1万~2万人のスタジアムがほとんどの日本からすれば、別世界の要求だった。
しかし、日本は明確な目標があると驚異的な団結力を発揮する国である。
さらに時代的なタイミングも味方をした。

