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ライフ #秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像

「平蜘蛛だけは命に代えても渡したくなかった」"天下人"信長にも屈せず…松永久秀が命を懸けた茶器

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松永久秀は茶器とともに自害しました(写真:Shiro / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

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織田信長が15代将軍・足利義昭を都から追放して、室町幕府を滅亡させたことはよく知られている。だが、その信長よりも、先んじて独自政権を築いて「最初の天下人」とも評されるのが、三好長慶だ。

しかし、長慶の弟で三好元長の4男・十河一存(そごうかずまさ)が永禄4(1561)年に病死し、その翌年には、同じく弟の三好実休が戦死してしまう。

さらに永禄6(1563)年、長慶の嫡男である三好義興も病に倒れて22歳で亡くなると、長慶は大きなショックを受ける。悲嘆に暮れて病床に臥し、政務から離れがちになったようだ。

「最初の天下人」のもとで台頭するも茶器と自害

代わって台頭したのが、重臣の松永久秀である。長慶の死後は、松永久秀と三好三人衆(三好長逸・岩成友通・三好政康)が、三好政権の中枢を担った。

永禄8(1565)年には、三好三人衆と、久秀の嫡男である松永久通らが、第13代将軍・足利義輝を殺害。久秀と三好三人衆の間で対立が深まると、久秀は足利義輝の弟・足利義昭と手を組み、その後、義昭を奉じて上洛した織田信長のもとに服属した。

そんな久秀は、信長にとって頼もしい家臣であると同時に、自らを脅かしかねない危険な存在でもあった。元亀3(1572)年、久秀は三好義継や三人衆とともに、信長に一戦を挑んでいる。そのときは信長に破れて降伏し、一度は許されたにもかかわらず、天正5(1577)年には、石山本願寺攻めの最中に戦線を離脱。またも裏切って反旗を翻すも、信長には敵わなかった。

2度目の裏切りにもかかわらず、久秀はまだ信長からチャンスを与えられる。茶の名器である「平蜘蛛(ひらぐも)」を差し出せば命は助ける、という。

だが、久秀はこれを拒否。太田牛一が慶長10(1605)年頃に記した『大かうさまくんきのうち』によると、久秀は平蜘蛛を叩き割って天守に火を放つと、自害したという。

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【「平蜘蛛」という名がつけられた理由】

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