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水俣病70年。多数の利益のために少数が犠牲となった歴史が問うているもの。事件の核心は解明されぬまま残っている。

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  • 高峰 武 熊本学園大学招聘教授、元熊本日日新聞社論説主幹

INDEX

熊本県水俣市に親水護岸と呼ばれる場所がある。水俣病の原因企業チッソの水俣工場から流れ出た有機水銀を含むヘドロで埋まった水俣湾のうち、総水銀25ppm以上のヘドロを浚渫(しゅんせつ)して58ヘクタールの海面を埋め立てた場所。総工費約480億円をかけ、1990年に完成した。

グラウンド、テニスコート、庭園などが整備されているが、親水護岸と呼ばれるのは水俣湾から不知火海に臨む一帯で、毎年、水俣病公式確認の日とされる5月1日に水俣病犠牲者慰霊式が行われ、2026年も石原宏高環境相らが出席して開かれる予定だ。

公式確認の日とは、1956年5月1日、チッソ付属病院から、原因不明の中枢神経疾患が多発している、との届けが水俣保健所にあった日のこと。今年はそれから70年になる。

1956年、水俣市月浦で生まれた上村(かみむら)智子。1977年、21歳で死亡した(1975年9月、撮影:小柴一良)

同じことを言うしかなかった被害者

2024年、公式確認をめぐる行事の中で「マイク切り問題」が起きた。被害者の発言中に、「3分が過ぎた」という理由で環境省側が事務的にマイクを切ったのだ。患者団体は抗議し、マスコミも取り上げた。

この件で私に意見を求めてきたマスコミ関係者がいたのだが、そのとき、その関係者は「(被害者は)確かに同じことを言っているんですよね」と漏らした。なるほど、と思いながら、私はこう答えた。「でも、同じことを言うしかないんじゃないかな。だって、先方が自分たち(被害者)の言うことをずっと聞いてこなかったんだから」。

私の発言を関係者がどう受け止めたのかはわからないが、このやり取りは案外事件史の本質的な部分で、この構造は70年間変わっていないのではないか、と思うようになった。水銀ヘドロを移動しただけで無処理のまま埋め立て、その一部をコンクリートで固め親水護岸と呼ぶ、これもまた水俣病史を象徴することではないか。事件の核心的な部分は何ら解決せずに残したまま、という意味で。

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【水俣病問題が70年も終わらない理由は明快】

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