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水俣病70年、多数の利益のために少数が犠牲となった歴史が問うているもの/事件の核心は解明されぬまま残っている

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  • 高峰 武 熊本学園大学招聘教授、元熊本日日新聞社論説主幹
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では、被害者の救済はどう進んだのだろうか。

まずは1959年の見舞金契約だ。補償ではなく見舞金。死者1人30万円が基準で、契約書には、後にチッソの工場排水が原因とわかったとしても新たな補償要求はしないと明記された。

第1次訴訟判決(熊本地裁、1973年)で見舞金契約は公序良俗違反で無効とされ、いくつかの変遷を経て、現在の患者認定は公害健康被害補償法(公健法)で行われている。熊本、鹿児島(補償額1600万~1800万円)、新潟(同1000万~1500万円)3県で患者数は約3000人である。

公健法の基準が厳しすぎるとして、認定を棄却された人たちが裁判を全国で起こし、別の団体はチッソと直接交渉を行うなどしたため、1995年に政府解決策が、2009年には水俣病特措法が作られた。いずれも、公健法の認定はされないが、似たような症状がある人を救済しようとするもので、政府解決策では260万円、特措法では210万円の一時金が支払われたほか、医療費の支給などが制度化された。

政府解決策に約1万2000人、特措法に約5万5000人、同様の内容での裁判での和解が約3000人で、合計すると約7万人もの人が、認定はされないものの何らかの形で救済を受けていることになる。

実態は「救済」ではなく「紛争処理」

行政に認められた少数の認定患者がおり、似たような症状がありながら患者認定されずに一定の救済措置を受ける「被害者」がおり、その外側にはどちらにも認められない被害を訴える人たちがいるのが水俣病救済の実態だ。救済は、なぜここまで複雑化したのか。

公式確認以降、食品衛生法に基づき「誰が食中毒患者であるか」を評価する調査が行われなかったためだ、との指摘がある。事実から見ていけばこの70年、水俣病の発生、拡大を防げなかっただけでなく、その救済まで後手後手に回ったからだと言うほかない。

しかもその都度、加害者の側が狙ったのは目先の「紛争処理」であった。一方で、チッソ救済のために熊本県は1978年、政府了承の下、県債を発行して経営を支えた。

汚染を受けた現地からは多様な症状が訴えられ、2013年の最高裁判決も感覚障害だけの水俣病を認めたのだが、環境省は1977年に出した複数の症状の組み合わせを求める判断条件を今も墨守し続けている。かつて国の水俣病対策の最前線にいたある官僚は、医学系雑誌に自省を込めてこう書いている。

「老いた過去の専門家たちは法廷で厳しい追及を受けました。長期の争議の末に多様な健康被害が認定され、国は謝罪や償いをせざるを得なくなりました。私自身振り返って、国の疫学的主張に未解明の点があることを認めざるを得ませんでした」

しかしこうした声が施策に具体化されることはなく、その時々で弥縫策が繰り返された結果が、今、私たちの目前にある70年である。

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【医学の課題】

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