不作為の1つ目は食品衛生法適用問題だ。
公式確認の後、水俣保健所長らが水俣湾産魚介類を使った猫実験で発症を確認した。これを受け、熊本県は水俣湾での漁獲禁止を行うために1957年8月、食品衛生法の適用の適否を厚生省に照会した。ところが厚生省は翌9月、次のように回答した。
「水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められない」
「魚介類のすべてが有毒化している根拠」。冷静に考えれば、これに答えるのはほぼ不可能だ。当時のやり方ならすべての魚介類をとって猫実験をするしかない。無理な話だった。
食中毒事件でいえば、原因食品は魚介類、原因施設が水俣湾である。例えば弁当が原因食品とわかれば、まずは製造元が営業停止になる。ところが水俣病事件では、弁当の中の細かな病因物質の追究に焦点が移っていった。1957年の時点で食品衛生法が適用され漁獲禁止が行われていれば、被害はもっと少なくなったはずだが、有効で強力な対策はとられず、被害は拡大していった。
工場排水は止まらぬまま問題は水面下に沈んだ
不作為の2つ目はチッソ水俣工場の排水規制だ。
1959年、水俣病問題は大きく動く。7月に熊本大学の研究班が「有機水銀説」を発表、水銀はチッソから排出された、とした。11月2日には国会調査団の現地調査が行われ、工場排水の停止を求めて不知火海漁民がチッソ水俣工場へ乱入する事件も起きる。
11月12日には厚生省の食品衛生調査会が熊本大学の有機水銀説を踏襲した内容の答申を行うが、翌日の閣議で池田勇人通産相が「結論は早計」と反論、閣議了解とはならなかった。「会社が使っているのは(有機水銀ではなく)無機水銀」というのがチッソ、通産省の言い分だった。そして通産省が主導する形で排水浄化装置が造られた。
暮れの12月30日には、死者1人30万円を基準とする見舞金契約がチッソと患者家族との間で結ばれ、水俣病問題は水面下に深く沈む。実はこの年、政府の連絡会議では旧水質2法に基づく排水規制を求める意見が水産庁から出されたのだが、一顧だにされなかった。
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【決定打が出たのに、動かなかった】
