水俣病では医学そのものの課題も浮き彫りになった。
公式確認以降、さまざまな制約の中で進められた原因究明は、患者の地域集積性、家族集積性などを明らかにし、病因物質として有機水銀に到達するなどの成果を上げたが、その後、例えば、汚染のない地域に比べて汚染地域にはどういう症状が多いのかという視点、疫学の弱さが指摘されている。
まず、2つの問題を考えたい。手がかりはあったのに生かされなかった問題だ。
1つが、1960年から3年間続いた熊本県衛生研究所の毛髪水銀調査だ。水俣の対岸、天草・御所浦では920ppmの女性がいたのだが、有効な追跡調査はされなかった。毛髪水銀ではおおむね50ppmが発症閾値とされている。
このとききちんとした追跡調査をしておけば汚染の広がりはもっと早くつかめたはずだ。当時の担当者の説明は「水俣は熊本市から遠く、御所浦はさらに遠かった」だった。確かに船で行くしかない離島だが、しかし水俣からは目と鼻の先である。
胎児性患者の医学的解明は不十分
2つ目は1971年から始まった熊本大学医学部の第2次水俣病研究班の調査である。水俣病患者の多発地区、対岸の御所浦、そしてコントロール・対照地区としての天草・有明町を調べる本格的な疫学調査だったが、有明町に水俣病と似た症状を持つ人がいるという「第3水俣病」問題が波紋を広げることになり、各地で多様な症状が確認されるという貴重なデータが生かされることはなかった。
これらの反省に立てば、疫学という視点の活用が喫緊の課題となってくる。汚染地域にどんな症状があるのか。感覚障害にしろ視野狭窄にしろ、非汚染地域と比べてどう違うのか。司法の場では疫学が採用されるケースも出てき始めており、今後注目したいことだ。
さらに言えば、医学的課題の核心の1つは胎児性患者とその周辺の人たちの問題だろう。水俣病の胎児性患者とは、母親のおなかの中にいるときに、へその緒を通じて有機水銀に侵され、水俣病の症状を持って生まれた人々のことをいう。
胎児性患者の医学的解明は不十分だ。加えて胎児性患者の周辺には多くの同じ世代の人たちがいる。1970年の調査で、汚染地区の中学生は非汚染地区の中学生に比べ知的障害を伴う者が多いほか、細かな運動機能の問題を伴う者が多いとする結果が出されている。
この人たちは今、70歳前後になっているが、実態解明は手つかずのままだ。1955年から10年間の出生率のデータから、水俣では本来生まれるはずだった約600人の子供が生まれてこなかったという報告も出されている。まだ間に合う、今なら手遅れではない、と思う。
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【少数の犠牲と多数の利益】
