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水俣病70年、多数の利益のために少数が犠牲となった歴史が問うているもの/事件の核心は解明されぬまま残っている

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  • 高峰 武 熊本学園大学招聘教授、元熊本日日新聞社論説主幹
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水俣病が今も続く理由④(水俣で何が起きたかをさまざまな人がさまざまに表現している)に関連するが、1950年代から60年代、4人の若者が、それぞれの思いを胸に現地・水俣を歩いていた。石牟礼道子(1927~2018)、原田正純(1934~2012)、桑原史成(1936~)、宇井純(1932~2006)の4人である。

のちに作家、医師、写真家、環境科学者となり、水俣病をめぐる多くの仕事を残し、未来へのヒントとなる論考を提示するのだが、その中身が今もまったく色あせていない。写真では桑原ら9人の写真家の合同写真集『水俣からあなたへ』(リトルモア)が、この4月に出版されたばかりだ。

胎児性水俣病患者の半永一光。石牟礼道子の『苦海浄土』に登場する少年・杢太郎(もくたろう)のモデルとなった(2007年、水俣市明水園で。撮影:小柴一良) 

患者支援に徹した「水俣病を告発する会」を組織した渡辺京二(1930~2022)をはじめ、当時、水俣病事件と格闘した人たちの軌跡から学ぶものは大きい。1970年に出され、2025年に増補・新装されたチッソの責任を徹底的に剔抉(てっけつ)した本・『水俣病にたいする企業の責任』など、今読んでもまったく色あせていない。

水俣病の問題を捉える水準の高さということもあるが、逆にいえば、問題が本質的には何ら解決していないことの証拠であるようにも思える。

見捨てたのは誰か

不知火海は穏やかなときには息をのむほどのきれいな海で、石牟礼が「さくらさくらわが不知火はひかり凪」と詠んだ情景が広がる。しかしそこは「苦海」でもあった。ここに私たちがどんな想像力を働かせるか、それが今も問われていると思う。

2026年1月に出た『石牟礼道子 たましいを浄化する文学』(コールサック社)という本がある。著者の武良竜彦は水俣出身で、父親はチッソ社員、母親の親族は水俣病患者。石牟礼の作品、特に俳句を通して、水俣にあまた埋まる「死者の声」を聴こうとする石牟礼の姿勢から、事件史の本質と表現の意味に迫ろうとする試みだ。今もこういう営みが有効性を持つのも水俣ならではと思う。

この稿を終えるに当たって、2人の言葉を再確認しておきたい。

1人は細川一。元チッソ付属病院長である。付属病院に2人の姉妹が入院したことから水俣病の発見者になり、猫400号実験でアセトアルデヒド工程が原因であることを突き止め、死の直前には臨床尋問で会社を告発した細川。その細川は膨大な「細川ノート」を残しているが、その中に「救済より防止の方がはるかに重要な仕事である」という言葉がある。惨状を見続けた1人の医師の貴重な遺言である。

もう1人は現在の上皇(1933~)である。天皇在位中の2013年10月に水俣を訪れ、水俣病資料館で胎児性患者の説明を受けた後、「水俣という場所は見捨てられたんですね」と質問したのだった。突然のストレートな質問に説明役の館長が言い淀んでいると、天皇は同じ質問を繰り返した。「水俣という場所は見捨てられたんですね」。

見捨てたのは誰か。この問いは近代日本への問いかけのように思う。そして、この問いに時効はないような気がしている。水俣、というのはそういう場所である。

熊本県水俣市の親水護岸(編集部撮影)
【参考文献】
『水俣病を知っていますか』(高峰武、岩波ブックレット)
『水俣病 これまで・今・これから ―公式確認70年―』(熊本学園大学・水俣学ブックレット、熊本日日新聞社)
『水俣病の悲劇を繰り返さないために ―水俣病の経験から学ぶもの―』(水俣病に関する社会科学的研究会、平成11年12月)
『8のテーマで読む水俣病』(高峰武編、弦書房)

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