横浜駅西口「砂利置き場から一大繁華街へ」の70年 放置されていた「荒れ地」が変貌、次の再開発も始動
横浜駅西口エリアで約37年にわたり営業を続けてきた、映画館をキーテナントとする商業施設「相鉄ムービル」が2026年9月末に閉館する。報道を受け、SNS上には閉館を惜しむ声が相次いだ。
ムービルのある横浜駅西口エリアの開発が始まったのは、今から約70年前。それ以前、この一帯は砂利などの資材置き場が広がる荒れ地だった。そこに一大繁華街を築いたのが、当時の相模鉄道社長・川又貞次郎(1885~1959年)である。奉公人から身を起こし、繊維事業で財を成したのち、鉄道業界に転身。小田急や東急の役員を歴任し、戦後の混乱期に相鉄の社長を務めた人物だ。
本記事では川又の歩みをたどりながら、横浜駅西口開発の経緯を振り返る。さらにムービルの閉館・建て替えを皮切りに、今後進められる横浜駅西口再開発の展望について関係者の話を聞いた。
横浜駅西口発展のキーパーソン
川又貞次郎は1885年3月、愛知県知多郡師崎村(現・南知多町)に生まれた。幼少期に父が事業に失敗し、一家は生活を立て直すため東京へ移住する。
小学校卒業後は、日本橋の綿織物問屋へ丁稚奉公に入った。行商には夜汽車で出かけ、昼間の時間を丸々商売に使うなど、寸暇を惜しんで働き17歳で番頭に昇格。さらに24歳の若さで独立し、自らの店を構えた。
その後、株で大損し一時は死を覚悟するような地獄も味わったが、第一次世界大戦の特需景気を追い風に巻き返す。「十年間で三百万円の財産」(『先見経済』1950年6月号)を築き、「綿糸成金」とも呼ばれる富豪になった。



















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