横浜駅西口「砂利置き場から一大繁華街へ」の70年 放置されていた「荒れ地」が変貌、次の再開発も始動
その後、東京駅名店街(現・東京駅一番街)に出店している東京の有名店に照準を定めて勧誘を進めると、文明堂(カステラ)、山本山(海苔)、紀文(蒲鉾)、泉屋(洋菓子)などが名品街への出店を決め、当初入居の約60店のうち「六割は東京の有名店で残り四割が横浜資本」(1956年3月31日付神奈川新聞)という構成になった。
1956年4月2日、名品街を含む繁華街「横浜センター」は開業し、大成功を収めた。1959年には横浜高島屋がオープンし、1964年には地下街も整備され、横浜駅西口は県内随一の繁華街へと発展していった。
今後の再開発の展望は?
初期開発から70年が経過した横浜駅西口は、再開発の必要性が高まっている。相鉄グループは2024年9月、「横浜駅西口大改造構想」(以下、「構想」)を公表。冒頭で触れた相鉄ムービルの建て替えからスタートし、計画全体が実現するのは2040年代という、かなり長期的なプロジェクトだ。
ただし、再開発を中心となって進める相鉄アーバンクリエイツの担当者は、次のように語る。
「現段階で具体的な計画として決まっているのは、ムービルが9月30日に閉館し、2026年度中に解体・建て替えに着手するところまで。跡地の利用方法については、現在社内で検討を進めている。具体的なことが決まっていない段階で『構想』を公表したのは、どんな街にすべきかという地域の将来像を、皆様と一緒に考えていきたいという相鉄グループの思いを表明するためだった」
とはいえ、今後の街づくりを予想するヒントはある。「構想」の上位計画にあたる「エキサイトよこはま22」(横浜市を中心に民間事業者などの意見を取りまとめて策定)を見ると、ムービルのある「南幸地区」は「商業・文化・エンターテイメントのまち」と位置づけられている。この指針に沿うならば、ムービル跡地もエンタメ系の要素を取り入れた施設になる可能性が高い。



















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