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横浜駅西口「砂利置き場から一大繁華街へ」の70年 放置されていた「荒れ地」が変貌、次の再開発も始動の写真一覧

横浜駅西口はかつて荒れ地だった。戦後にスタンダード社から取得した横浜駅西口の土地。「相模鉄道株式会社所有地」の看板が見える(写真:相鉄グループ)
横浜駅西口はかつて荒れ地だった。戦後にスタンダード社から取得した横浜駅西口の土地。「相模鉄道株式会社所有地」の看板が見える(写真:相鉄グループ)
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1922年の地形図。中央やや上に「スタンダード油槽所」の文字が見える。貯油タンクが関東大震災で爆発し一帯は火の海と化した。横浜駅はまだ高島町(地形図下)にあった(地図画像:国土地理院所蔵)
1922年の地形図。中央やや上に「スタンダード油槽所」の文字が見える。貯油タンクが関東大震災で爆発し一帯は火の海と化した。横浜駅はまだ高島町(地形図下)にあった(地図画像:国土地理院所蔵)
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約70年前、荒れ地だった横浜駅西口を一大繁華街へと導いた相鉄の川又貞次郎。今、その象徴とも言える「相鉄ムービル」が2026年に閉館を迎え、再開発の幕が上がろうとしています。「横浜らしさ」を問い直す長期大規模プロジェクト。その核心に迫ります。(このリード文はAIが作成しました)

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