蔦重と「喜多川歌麿」タッグ組んで挑む"新境地" 浮世絵美人画には《超強力なライバル》… そこで蔦重が目をつけたもの

歌麿の強力なライバルだった人物
江戸時代後期の天明年間(1781〜1789)、浮世絵美人画界の寵児は、鳥居清長でした。
蔦屋重三郎とタッグを組んだ喜多川歌麿は、清長に対抗しようとします。が、歌麿自身の作品(例えば「四季遊花之色香」)にも清長の影響が見られることもあり、清長を「凌駕」するのは、時期尚早。
歌麿を正面切って、清長に対抗させたならば、歌麿の才能を潰してしまうかもしれない。もしかしたら、重三郎はそんなことを考えた可能性もあります。
なぜなら歌麿に「狂歌絵本」の絵を描かせているからです。
天明年間の中頃までに、重三郎は狂歌本の刊行を行ってきたのですが、天明6年(1786)になって、それに関連した新たな出版物を刊行します。それが狂歌絵本なのです。
狂歌とは、社会風刺や洒落をきかせた短歌のこと。狂歌は中世にも詠まれましたが、その盛行は江戸時代中期であり、ブームにのって、重三郎も狂歌本を刊行していたことは先述しました。その狂歌に絵を付けたものが狂歌絵本です。
天明6年に蔦屋は狂歌絵本を刊行しますが、それは『吾妻曲狂歌文庫』(北尾政演・画)、『絵本江戸爵』(喜多川歌麿・画)、『絵本吾妻抉』(北尾重政・画)というものでした。ご覧になればわかるように、歌麿だけに絵を描かせたわけではありません。
しかし、天明6年以降、毎年刊行されていく狂歌絵本で、精力的に絵を描いていたのは、歌麿でした。
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