「貧乏になりやすいタイプ」と誤った情報で不安に──

「自分はMBTIの◉◉タイプだから、◆◆タイプの子と相性がいいらしい」
「MBTIの▲▲タイプは貧乏になりやすいらしい、★★タイプは自殺しやすいらしい」──

今、「16Personalities」と呼ばれるインターネットの無料診断を受けた子どもたちが、自分のタイプを歪んだ形で解釈する事態が起きている。しかし、この「16Personalities」診断は、人間の性格タイプを16に分けて英文字4つで表記する点で、国際規格に基づく性格検査「MBTI」と共通しているものの、実際は「MBTI」とはまったくの別物だ。

約20年前、日本にMBTIを紹介した日本MBTI協会代表理事の園田由紀氏に、MBTIをめぐる昨今の状況を尋ねた。

園田由紀
園田由紀(そのだ・ゆき)
日本MBTI協会認定MBTIマスタートレーナー、認定臨床心理士
東京大学大学院医学系研究科非常勤講師、京都大学大学院医学研究科非常勤講師。株式会社PDS総合研究所代表取締役社長。日本版MBTIの研究開発を手掛け、日本におけるMBTIの普及に努める。『MBTIタイプ入門』(JPP株式会社)など著書・訳書多数
(画像は本人提供)

「MBTIは、スイスの心理学者であるカール・G・ユングのタイプ論をベースにアメリカのマイヤーズ母娘が開発しました。一方の16Personalitiesは、その後イギリスで作られたまったく別のテストです。問題は、MBTIのオリジナルである英文字4つの表記を、16Personalitiesがそっくりそのまま転用したことでした。

16Personalities側は『あくまでMBTIのいいとこ取りをしただけで、MBTIではない』『16Personalitiesはビッグファイブ理論をベースにしている』などと主張していますが、ベースの理論が異なる以上、受検者の利益のことを考えたら、結果表記も異なってしかるべきと思うのです」

16Personalitiesが日本に流れてきた当初は、日本語訳が不自然だったこともあり、実はそれほど問題視されていなかった。しかし昨今はAIの翻訳精度も向上し、想像を超える勢いで広がりを見せている。日本語のほかにも多くの言語に訳されており、各国で、MBTIとの混同をおこし広がっている状況だ。日本では2023年ごろから、MBTIと勘違いして16Personalitiesの無料診断を受けた人から、日本MBTI協会に多数の相談が入るようになったという。

「相性が悪いからと友達に距離を置かれてしまった」
「自殺しやすいタイプと言われて不眠症になってしまった」
「母親には向かないタイプと言われて自信をなくしてしまった」

 

訴えの多くが10〜20代の若年層からで、中には小学生の子どものそうした事態を心配する保護者からの相談もあるという。

「本来、MBTIは人のいいところに焦点を当てるものです。多様性を理解し、受け入れ、補償しあう指針を得てもらえるよう開発されたフォーマルアセスメントです。MBTIでは、自殺しやすさや貧乏になりやすさなどはまったく見ていませんし、人と人の相性を判断するものでもありません。

そもそも、自我がまだ確立していない若年層は、MBTIをはじめ、各年齢対象の心理検査以外を受けてはいけないのです。MBTIや多くの心理テストは成人用です。これは、自我が確立していないうちは、心理検査の結果を妄信して翻弄され、自分を見失ってしまう危険性があるからです。それにもかかわらず、学校によっては、先生が児童生徒に16Personalitiesの無料診断を受けさせ、一緒になって盛り上がったり、人間関係や成績とリンクさせたりする事例もあると聞いています」

差別やいじめに発展するケースもあり、同協会は寄せられた情報を取りまとめて文部科学省にも共有しているという。

では、元来のMBTIとはなんなのか。多くの心理検査は、その人の行動特徴の“程度”を見て測定するが、MBTIはその人の「認知スタイル」を見るメソッドだ。

心理学において、「人間の性格」には「パーソナリティ(人格)」と「キャラクター(性格)」の2種類があるとされる。パーソナリティ(人格)とは、「仮面」を意味する「ペルソナ(役割性格)」が語源で、家庭や社会、国などに適応するために身につけた後天的な行動特性や表現方法のこと。一方でキャラクター(性格)とは、その人が生まれ持った、先天的に刻み込まれた気質や特性のことだ。

「MBTIは、キャラクター(性格)を見るものです。一般に検査手法には『特性論』と『類型論(タイプ論)』がありますが、16Personalitiesは特性論、MBTIは類型論です。皆さんに馴染み深い『偏差値』は、特性論に当てはまりますが、その集団における位置はわかっても、その人自身に焦点を当てることはありません」

例えば、ある人が日本では「すごく明るい人」と判断されても、陽気な人が多い国では「普通の人」と判断されるかもしれない。それは本人の性格が変わったからではなく、基準が変わったからだ。このように特性論は、周囲との比較で判断する手法だと言える。

「一方で類型論は、“もうこれ以上は分けられない”というところに類があると考えます。何かと比べたり、良し悪しを評価したりはせず、ひたすらその人自身に焦点を当てるのです。MBTIは類型論なので、その人がどんな認知スタイルを持つか、それ自体を探っていきます。これを、MBTIの有資格者の支援のもとで行うのです」

では、その認知をどう調べるのか。前述のように、MBTIはユングの心理学的タイプ論に基づいて、性格を16のタイプに分類する。ユングは、人間の心が動くときは「知覚機能」と「判断機能」のいずれかが関わっていると捉え、「知覚機能」には①感覚機能と②直観機能、「判断機能」には③思考機能と④感情機能があるとして、心的機能を4つに分類した。

そして、これら4つの心的機能がそれぞれ、その人の外側の世界に向かって働くのか、内側の世界に向かって働くのかによって2つに分け(計8パターン)、さらにこの8パターンのうち、どれを自然と使っているか、あまり使っていないかによって、16タイプに分けた。

ユングの8つの心的機能

字を書くときに利き手のほうが書きやすいのと同様に、こうした「ものの見方」にも、自分にとってストレスなく自然と使う“心の利き手”があると園田氏は言う。

「とはいえ、利き手ではないほうの手を使えるのと同じで、私たちには“心の利き手”ではないほうのものの見方も備わっています。タイプ論を知っていれば、自分の認知の偏りを自覚して是正することもできますし、うまくいかないときに『いつもと違うものの見方をしてみよう』と活用することもできます」

MBTIのタイプが同じでも、表現方法や行動は異なる

ところでMBTIのタイプが同じであれば、同じような行動をするのだろうか。

「あくまで認知スタイルが同じなだけで、その表現方法は人それぞれですから、認知した事象に対する行動は十人十色です。さらに、私たちはペルソナ(役割性格)も身につけていますから、MBTIのタイプを名札がわりに名乗ってもあまり意味がありませんし、『このタイプはこうする!』とレッテルを貼れるようなものでもないのです」

では、MBTIはどう使われているのか。園田氏は企業のマネジメント層に研修も行っている。まずはMBTIを受けて、その結果から自分の認知スタイルのタイプを把握してもらうが、回答者が仕事モードで答えた場合は仕事で使う「ペルソナ(役割性格)」が出ることもある。心理学では、ペルソナの下に、その人が生まれ持った「キャラクター(性格)」があるとされるため、出たタイプがペルソナ(役割性格)なのかキャラクター(性格)なのか、MBTIの有資格者とのカウンセリングを通してさらに探っていく。日本人の場合、この作業に4時間ほどかかるそうだ。

「1対複数の研修では、演習も行います。例えば、ある絵を見せてどんな絵だったか聞くと、直感機能を使いやすい人は『ピカソっぽかった』、感覚機能を使いやすい人は『人が5人いて、それぞれが違う方向を見ているように描かれていた』などと、まったく異なる回答をするのです。同じ経験をしても上司と部下では全然違う捉え方をするので、『そんなふうに考えるのか!』と盛り上がることが多く、相手のものの見方に興味を持ったり、愛おしく思えるようになったりするため、自分と異なる他者を理解して大切にしようという意識につながるようです」

自分とタイプが違う人は、自分には見えづらい世界を見てくれている人でもある。MBTIは本来、多様性を建設的に捉え、他者に対する許容度を上げるためにも有効なものだ。16Personalitiesの特定のタイプを「相性が悪い」などと紹介する昨今の風潮は、真逆の方向に向かっていると言えるだろう。

MBTIは、日本では18歳からしか受検できない

現在世界51カ国で使用されているMBTIには国際規格があるが、各国の文化を尊重して普及させるため、MBTIを使用する条件は国ごとに異なる。園田氏は、アメリカで開発されたMBTIが日本文化にフィットするように、約10年かけて翻訳した張本人だ。そのきっかけは自身の体験にあった。

「私はアメリカで育ちましたが、実は現地校で何度も落第しているのです。理由はテストで『正解を書いた』から。先生には、『正解は誰にでも書ける。自分がどう考えたかを書かない限り、単位はあげられない』と言われました。アメリカの子どもはこうした教育を受け続けるため、中学生の頃には自我が確立すると言われています」

一方で、日本の教育は自分の考えより正解を書くことが求められ、集団生活では協調性が求められる傾向にある。そのため、日本の子どもたちの自我が確立するのは18歳頃からだと言われている。よってMBTIの受検も、アメリカでは14歳から有効なのに対し、日本では18歳から有効とされているのだ。ただし、ここに良し悪しはなく、あくまで文化と教育のバックグラウンドの違いだと園田氏は指摘する。

「日本に来て衝撃を受けたのが、人と比較することで自分を評価する人が非常に多いことです。それが、自己肯定感を低くしているのではないかと思いました。だからこそ、自分だけに焦点を当てる分析方法で、その人の人生の羅針盤となるようなフレームワークを日本に提供したいと考えたのです。日本人が素晴らしいのは、状況に応じてペルソナ(役割性格)を使い分けられるところ。例えばドイツ人を対象にMBTIを実施した時、ペルソナ(役割性格)という概念はなかなか理解されませんでした。日本人は、たくさんのペルソナ(役割性格)を身につけているからこそ、軋轢を避けて過ごすことができるのでしょう。一方で、ペルソナ(役割性格)に偏重するあまり自分自身を見失いそうな人にも多く出会ってきました。だからこそ、本来のキャラクター(性格)を知ることで、もっと意識的にキャラクター(性格)とペルソナ(役割性格)を行き来したり、さらに自分を生かしたペルソナ(役割性格)の表現ができたら、ストレスの減少につながると考えました」

自我が確立しない子どもに「レッテル」を貼る恐ろしさ

教員は、さまざまな児童生徒の成長を見守る仕事だ。当然、子どもたちは一人一人違うものの見方をしており、教員とも異なる捉え方をしているだろう。教員は、どのような視点を持っておくといいのだろうか。

「自己理解の深さは、他者理解の深さとイコールです。自分自身の認知に偏っていると、自分と違うものの見方をする子どもを低く評価してしまう可能性もあるでしょう。しかし、“心の利き手”が違うということは、異なる言語や世界観で生きているようなもの。これがわかると、子どもが見ている世界を誤解することなく捉えることができ、自分の偏見を通さない新しい視点で、その子自身を評価できるようになります。また、人間には“意識”と“無意識”の2つの領域がありますが、自己理解を深めて“意識”の領域が広がれば、自分でコントロールできる感情や言動の範囲が広がり、安心して人と接することができます。感情は転移するものなので、教壇に立つ先生の心理的安全性は、子どもたちの安心感にもつながるのではないでしょうか」

自分は何者なのか、相手はどんな人なのか。それを知りたいと思うのは当然のこと。しかし、人間の心は一概に言い表せるものではなく、人と人との関わりも「相性」で片付けられるものではない。

「人は、『目がきれいですね』と言われると、そこを強調するようにアイメイクがどんどん濃くなっていくというエピソードがあります。このように人間は、一度『あなたはこういう人間です』と言われると確証バイアスが働いて、自分でも無意識のうちにその特徴を強めてしまうものなのです」

心理検査を誤ったかたちで取り入れると、自分自身を見失ってしまう可能性がある。自我が確立する前の子どもたちはなおさら、こうした事態に陥りやすいだろう。自分や相手に、手軽にレッテルを貼ってしまうことの恐ろしさを、まずは大人がしっかり把握しておく必要がありそうだ。

(文:吉田渓、注記のない写真:Graphs / PIXTA)