ライトのチカチカや不快な音に苦しむ日常

学習面や行動面に困難さがあるなど、発達障害の可能性のある小・中学生は8.8%、11人に1人程度在籍している(文部科学省「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」)。35人学級であれば1クラスに3人いる計算で、さらに特別支援学級に入る児童生徒数もここ10年で倍増している。

だが、発達障害と一口に言っても、その特性はそれぞれ異なる。難しいのは、児童生徒が日々体感している困難さや辛さがわかりにくいこと。自分にとっては当たり前の世界だからこそ、困難さを伝えることができていない児童生徒も多いことだろう。

こうした発達障害のある児童生徒の日常を体験する方法がある。NTT ExCパートナー(エヌ・ティ・ティ エクシーパートナー)と日本発達障害ネットワーク(以下、JDDnet)が共同で開発した「発達障がい体験研修VRパッケージ」(以下、VR研修)だ。

その名前のとおり、VRを使って発達障害の児童生徒の日常を体験できるというもの。開発の背景について、NTT ExCパートナー マーケティング部の岡田宗一郎氏はこう語る。

「発達障害の特性の現れ方は人によってさまざまであり、当事者でないとその大変さはなかなかわかりません。当社では以前から視覚障害や中枢神経系疾患の方の当事者感覚が体感できるVRを手がけており、このノウハウを活用することで当事者に寄り添った研修教材、プログラムができるのではないかと考えたのです」

VR研修では「注意欠如・多動性障害(ADHD)」「学習障害(LD)」「自閉症スペクトラム障害(ASD)」「発達性協調運動障害」の代表的な特性が、日常生活のワンシーンとしてそれぞれ展開される。

興味深いのは、4つの特性を持つ児童生徒の日常が、当事者視点と客観視点(教員目線)の2つの視点で描かれている点だ。その狙いをNTT ExCパートナー DXソリューション部の浅野勝紀氏はこう説明する。

「2つの視点で描くことで、教室で起こっていることをよりわかりやすく伝えることができると考えました。ASDを例に挙げると、教員目線では『あの子は体調が悪いのかな?』と見えていますが、当事者視点では教室のライトが明るすぎたり、チカチカ点滅して見えるという具合です。また、LDのパートでは、教員目線では普通に見えている文字が、学習障害のあるお子さんには歪んだり、二重に見えていることがわかるようになっています」

当事者視点と客観視点、さらに心の声でリアルさを追求

VRに使われる映像のシナリオを担当したのは、発達障害の当事者と専門家、職能団体などをつなぐ全国組織、JDDnetだ。JDDnetの担当者が撮影にも立ち会い、光の点滅の見え方なども細かく調整したという。

そのこだわりについて、JDDnet副理事長で山梨英和大学・人間文化学部教授の小林真理子氏はこう説明する。

「以前から、私たちは研修を通して発達障害の理解啓発を進めていましたが、今回はVRを使って発達障害への理解を進めるという点が面白いと感じました。知ることは合理的配慮(障害のある方の個別の状況に応じて社会的障壁を取り除くこと)への近道です。だからこそVRで描きたかったのが『世の中にはいろいろな感覚の過敏さ、鈍感さを持っている人たちがいる』ということ。

そこで、当事者にはこう見えている、聞こえているというリアルさを可能な限り追求しました。知識の上に体験が加わることはすごく重要なこと。体感することで『(当事者は)こんなに大変なのね』と実感できますし、何に配慮すればいいかがわかるようになります」

例えば、ASDのシナリオでは、机や椅子を移動させる際の音を嫌がったり、蛍光灯がチカチカして見えて不快になる。LDでは教科書の文字が歪んで見えて、音読が難しい。またADHDでは、整理整頓が苦手で忘れ物を繰り返してしまったり、自分の興味・関心のあることを一方的に話し続けてしまうなどの特性を再現している。

整理整頓が苦手で忘れ物を繰り返してしまいがちなADHDの特性を再現したシーン
自分の興味・関心のあることを一方的に話し続けてしまいがちなADHDの特性を再現したシーン

ただ、このコンテンツは合理的配慮をしてもらうためのものだ。VRで体感する光や音の刺激が強くなりすぎてしまうと、VR体験そのものが不快な体験で終わってしまう恐れもある。そのため一般の方が受け入れやすい光や音に抑えるようにしているという。

当事者の大変さを体感しやすい工夫は、ほかにもある。それは、「当事者の心の声」を入れたことだ。その狙いを岡田氏はこう話す。

「当事者の辛さを表現する際、『周りが笑う』という方法もありますが、それでは学びになりません。そこで、周囲が行う合理的配慮とともに当事者の心の声を入れることにしました。発達性協調運動障害を例に挙げると、大縄跳びでうまく跳べず周りの子に『練習だから大丈夫!』と声をかけられるシーンで、当事者の『自分はできていない……』という心の声を入れています」

大縄跳びで失敗をしてしまう発達性協調運動障害の特性を再現したシーン

日常生活の出来事の中で感じた痛みが持続し、合理的配慮がなされても自己効力感が落ちてしまう……。そんな発達障害の当事者が日々感じている心の痛みを丁寧に描いた点もこだわりの1つだ。

カギはVR研修後のディスカッション

当事者が見ている世界をリアルに体験できるVR研修。このプログラムが興味深いのは、「VR研修をして終わり」ではなく、その気づきをアウトプットする時間があることだ。

「体験するだけでは『合理的配慮をしなければいけないね』で終わってしまいがち。しかし、体験の後に周囲と『こういう時はどうすればいいか?』などと意見を交換することで考えを一歩深めることができ、自身の成果として持ち帰ってもらうことが可能になります」

VR研修後のディスカッションの重要性について、こう指摘する岡田氏に小林氏も続く。

「このVR研修は、グループで体験する点が非常にポイントだと思います。とくに専門家でない方の学びでは、VRでまざまざと体感したことを話し合う時間が重要です。以前、うちの大学で60〜70人の学生にこのVR研修を体験してもらったところ、終了後に当事者だという学生が『自分のことをこんなにわかってもらえてうれしい』と伝えに来てくれました。その時はVR体験だけでグループディスカッションの時間を取っていなかったので、『自分はこうだ』と話したかったのでしょう。ほかの学生も、きっと授業外の時間に学生同士でVRで体験したことを語り合いたいのではないかと思います」

これまでVR研修を実施した学校や自治体に対してアンケートも行っているが、VR体験前と後では発達障害について「十分理解している」と答えた人の割合が11%から25%、「ある程度理解している」と答えた人が39%から62%に増えた。また、「限局性学習障害の人の見え方を再現してほしい」といった要望も寄せられて、さっそく映像に取り入れたという。

よくある場面を児童生徒視点で体感できる

教員をはじめとした教育関係者は、このVR研修でどんなことを感じ、どんな気づきを得ているのだろうか。東京都大田区立多摩川小学校では、2023年9月に校内でこのVR研修を実施して、同校の教員全員が参加した。

多摩川小で実施したVR研修の様子

多摩川小を拠点とした特別指導教室(サポートルーム)の巡回指導教員として、支援が必要な児童に合わせた情緒コントロールや日常生活を送るために必要なスキルの獲得をサポートしている今部洋介氏は、研修を受けた感想をこう語る。

「この研修のVR体験は今までにない経験でした。個人的に印象に残ったのが、LDの子の見え方です。僕は違和感を感じない文章がグネグネと歪んでいたり、ぐるぐる回って見えたり。こういう見え方をしていたら、筆算ひとつとっても解くのが難しいなと改めて感じました。また、ゲームを通した学びで楽しくなりすぎた時に、大きな声が出てしまう子も授業を妨害するつもりはなく、その子にとっては普通のことなのだと再確認しました。本で読むと『そうなんだ』で終わる内容も、VRで体験することでグサッと刺さるものがあり、文字での理解と全然違うなと感じました」

その体験は、日々の指導にも生かされているようだ。

「発達障害の特性を理解するのはとても大切なこと。VR研修ではその理解を深めることができたと感じています。VR映像で、授業中に外で音が鳴って窓まで見に行くという場面がありますが、実際にそういった反応をする子もいます。VR研修を通して『あの子はすごく気になったんだな』と改めて感じました。自分で体感できたので、同じような場面に遭遇した時、注意するのではなく『どうした?』と呼びかける指導ができるようになったと思います。体感することで理解が深まり、大人の側に心の余裕が生まれるように思います」

VR研修は、VR体験と専門家の解説による講義、ディスカッションの構成で約25万円~(30名/1回開催で申し込みの場合)だという。今後について岡田氏はこう話してくれた。

「今まではどうしても関東近郊での実施が中心でしたが、全国でお使いいただけるよう提案していきたいと思っています。小中学校の先生の研修でよくいただくのが『児童生徒に使ってほしい』という声です。小さいお子さんにVRを体験いただくのはハードルが高いこともありますが、理解と納得が得られれば、児童生徒向けに利用していただけるようにしていきたいですね。また、今は教室のシーンだけですが、今後は社会人や大人の発達障害にも広げていきたいと思っています」

頭で理解していても、自分ではない他人が実際に何をどう感じているのか、体感するのは難しいもの。発達障害当事者の世界を体感できるVR研修は、新たな気づきと学びにつながるはずだ。

(文:吉田渓、写真:NTT ExCパートナー提供)