リーマンショック以降、「奨学金問題」が表面化

――奨学金の利用者が卒業後に返還が困難となる「奨学金問題」が、社会課題となっています。どのような背景があるのでしょうか。

小林 きっかけは1998年です。当時、財政投融資のお金が余ったことから、その使い道として、日本育英会(現・JASSO)の第二種奨学金(有利子での返済となる貸与型奨学金)が選ばれました。このときに、貸与の条件となる成績基準や所得基準が大幅に緩められ、以後、第二種奨学金の利用者数は2013年まで急増しました。

小林雅之(こばやし・まさゆき)
桜美林大学・教育探究科学群・学群長・教授
東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学)。広島修道大学助教授、放送大学助教授、東京大学大学院総合教育研究センター助教授、教授、桜美林大学国際学術研究科教授を経て現職。東京大学名誉教授。広島大学高等教育研究開発センター客員研究員、放送大学客員教授、文部科学省学校法人運営調査会委員、衆議院調査局客員調査員、大学・短期大学基準協会理事なども務める。著書に『大学進学の機会』(東京大学出版会)、『進学格差』(ちくま新書)、編著に『教育機会均等への挑戦―授業料と奨学金の8カ国比較』(東信堂)など
(写真:本人提供)

1998年当時はまだ終身雇用制が守られていたため、学生の多くが卒業後、計画的に奨学金を返済することが可能でした。しかし2008年のリーマンショック以降、新卒者も正社員での就職が難しくなり、返済が困難になる人が増えたのです。

そうした中で、2004年に日本育英会を受け継いで発足したJASSOは、回収の強化を図っていきました。財政投融資の担当である財務省が、貸与金を確実に回収するようJASSOに強く求めたからです。この頃から滞納者に対する訴訟も増え、お金を返したくても返せずに追い詰められていく若者の存在が、社会問題化していったのです。

――1990年代末から増え始めた第二種奨学金の利用者数は、2013年度の102万人をピークに減少に転じ、2020年度には72万人にまで減っています。これは奨学金問題が関係しているのでしょうか。

小林 そうですね。「卒業後の返済の負担を考えれば、奨学金は使いたくない」というローン回避が生じたのだと思います。中には進学自体を諦める人たちもいたことでしょう。

一方で第一種奨学金(無利子での返済となる貸与型奨学金)については、2017年度から貸与基準を満たす希望者全員が貸与を受けられるようになるなど、拡充が図られました。これにより第一種を利用できる人が増えたことも、第二種の利用者が減った理由として考えられます。

画期的だった「給付型奨学金」の導入

――2017年度は第一種奨学金の拡充だけではなく、「所得連動返還方式」や「給付型奨学金」も導入されました。さらに2020年度には、授業料の減免と給付型奨学金をセットで行う「高等教育の修学支援新制度」がスタートしています。

小林 国際的に見ると日本の貸与金の返済率はよいほうなのですが、奨学金問題がクローズアップされたように返還促進だけではうまくいかないため制度が見直されたのです。

まず所得連動返還方式とは、制度利用者の所得に応じて毎月の返還額を決めるというもの。いくら訴訟を起こしても、日々の生活にも困っている人から強引にお金を取ることはできません。そこで制度利用者の経済状況に合わせて、10~20年かけて無理なく返還してもらおうというわけです。ちなみに、オーストラリアやイギリスはすべてこの方式で、授業料を後払いにしています。

また給付型奨学金とは、「給付」という名前のとおり返済不要の奨学金。2017年の導入当初は、住民税非課税世帯の高等教育進学者に対して月額2万~4万円を給付するというものでした。この給付額は、2020年度から2019年の消費税増税分を原資とし、「高等教育の修学支援新制度」が始まったことで、大幅に拡充されます。年間で上限91万円の奨学金が給付され、上限28万円の入学金や上限70万円の授業料が免除されることになりました。

海外は給付型奨学金が多いのですが、これまでJASSOでは貸与型奨学金しかありませんでした。そのため、給付型が創設され、さらには大型の拡充が行われたというのは非常に画期的なことです。

ただし、改善すべき点もあります。給付額は世帯年収によって変わるのですが、年収「~270万円」「~300万円」「~380万円」とわずか3段階にしか分かれていません。これでは、たった1円の所得の差で給付額が大きく変わってきます。つまり、1円の差で給付されないケースもあれば、より多くもらおうと収入調整する世帯が出るといったモラルハザードの問題も出てきます。この不公平感を是正するためには、世帯年収ごとの給付額の差をもっとなめらかにしていく必要があるでしょう。例えば、フランスでは8段階に区切っており、アメリカは区切りを設けず所得に応じた給付を行っています。

――2024年度からの「安心して子どもを産み育てられるための奨学金制度の改正」では、高等教育の修学支援新制度の支援対象が、扶養する子どもが3人以上いる多子世帯の中間層や、理工農学部系に進学する中間層にまで拡大されます。

2024年度から支援対象を多子世帯と理工農学系に進学する中間層にも拡大

小林 対象が広がること自体はよいことです。とくに中間層の多子世帯については、以前から支援の必要性が指摘されてきましたから。ただし、理工農系の支援については、私は疑問を抱いています。「私立大学の理工農系学部は授業料が高いから」というのが導入を決めた国の理屈ではありますが、理系人材を増やすために制度が利用されている面があり、本来の奨学金の趣旨を考えると筋が違うのではないかと思います。

「複雑な制度」をわかりやすく伝えるための仕組みが必要

――JASSOの奨学金制度は、制度利用者や学校現場の教職員からは、制度が複雑だという声も聞かれます。

小林 はい。一番の課題は、選択肢が増えたぶん、ますます複雑でわかりにくい制度になってきていることです。例えば、所得連動返還方式を活用できるのは第一種の利用者だけで、第二種の利用者は対象外。しかも第一種の利用者であれば全員に適用されるわけではなく、本人が「定額返還方式」と「所得連動返還方式」のいずれかを選ぶ形になっています。

おそらくJASSOでも制度のすべてを正確に説明できる人はあまり多くないでしょう。そのため、利用者や保護者の中には奨学金に返済義務があることを知らない人がいたり、所得連動返還方式や給付型奨学金ができたことをご存じない保護者も多かったり、必要な人に情報が届いていない状況です。

高校で奨学金や進路指導を担当している先生方も、複雑な制度を一つひとつ理解して、生徒に適切な指導や助言を行うには大変な労力を要します。実際、2017年に全国の高校の奨学金担当者を対象に実施したアンケート調査では、80%の先生が「奨学金制度が複雑すぎて理解しづらい」と答えました。「JASSOの説明資料が理解しづらい」という回答も77%に上っています。

また、借金を負うことになるため奨学金制度を生徒に薦めたくないと考える先生や、プライバシーを重視する社会に変わる中で年収などの家庭状況は知りたくないと思う先生が増えており、高校によって生徒への奨学金制度の周知への熱意がかなり異なっているのが現状です。

せっかく負担軽減の制度があるのに、活用の機会を逃してしまうのは残念なこと。本来なら高校の先生方には、大学院を出てもよい就職先がない場合があるといった昨今の社会状況も含め、「貸与型奨学金の場合は、在学中には経済的な支援を得られる反面、卒業後は返済の負担が生じる」といったメリットとデメリットを生徒に伝えることが求められます。しかし、実際にはなかなか難しいのが現状です。

――状況の改善にはどのようなことが必要でしょうか。

小林 高等教育の修学支援新制度で確保した7600億円という多額の予算はまだ使い切っていませんので、給付だけではなく、奨学金の情報をわかりやすく提供するためのインフラ整備や、事務負担の軽減のための職員の加配などにも振り分けるべきだと思います。

JASSOも2017年より、奨学金制度に関する研修を受けたファイナンシャルプランナーを「スカラシップ・アドバイザー」として大学や高校などに派遣し、奨学金制度についてのガイダンスや資金計画の助言を行う活動を始めていますが、まだ十分とは言えません。

とくに情報提供に関して、JASSOは「ウェブサイトを見てください」と言いますが、資金計画のシミュレーターを作るなど少しずつ改善はされているものの、まだまだわかりやすいサイトにはなっていません。今の高校生や大学生はよほど関心がないかぎりウェブサイトを見にいかず、SNSで調べます。しかし、SNSは経済評論家が間違った情報を発信している例などもあり、正確な情報の周知は大きな課題です。

ちなみにアメリカでは、大学が合格者一人ひとりに合った資金計画を提示する仕組みをつくっています。連邦奨学金への申請時に、3つの大学に対する申請情報の提供に同意すると、該当大学から合格通知と共に資金計画が記載されたアウォードレターが送られてくるのです。しかし、これも書式が統一されていないなどの問題があるようで、情報提供は世界各国で課題になっています。

――奨学金制度は、今後さらなる拡充は考えられるでしょうか。

小林 2024年度からの制度改正では 大学院修士課程の授業料について、在学中は徴収せず、修了後に所得に応じて後払いする仕組みが新たに導入されます。自民党議員の一部には、この授業料後払い制度の対象を学部生にまで広げることを主張している人もいるようです。多額の授業料を所得に応じて時間をかけて無理なく返せるようになれば、保護者や本人にかかる負担はかなり軽減されるでしょう。

しかし後払いにすれば、当然貸し倒れのリスクも発生します。損失の補填には公的資金が使われることになりますから、問題はそれを国民が許容できるかどうか。日本は北欧やドイツ、フランスなどとは異なり、「子どもの教育は家庭が責任を持つべき」だという考えが強いです。奨学金が必要な当事者や福祉国家的な考え方に基づき授業料の無償化を支持する層と、教育費の負担は親が持つものだと考える層とで分断されています。さまざまな調査でも、高等教育の無償化に対する支持率は3割程度しかありません。実は、高等教育における経済的支援の充実は、国民の判断にかかっている部分が大きいといえます。

(文:長谷川敦、注記のない写真:Graphs/PIXTA)