"完璧なアイドル"キンプリが抱えた「生きづらさ」 岸、平野、神宮寺が「生きるために」選んだ道
「デビューする時から、海外で活動するというのを1つの夢として掲げさせてもらっています」
2019年に逝去した創業者のジャニー喜多川が存命していたときには、平野は世界進出という夢について、こう語っていた。
「僕らの夢でもあるんですけど、ジャニーさんの夢でもある。ジャニーさんも87歳。あと何十年も一緒にいられるわけじゃないと思う。社長が生きているうちに、僕らが海外進出した景色を見せたい」(「日刊スポーツ」2019年5月2日付)
2つの重なる夢を追い、ジャニーさんに夢が叶った先の景色を見せたい――それは実現しなかったが、キンプリはコロナ禍前の2019年には武者修行として渡米し、ヒップホップの世界大会で優勝経験をもつメルビン・ティムティムなど、世界レベルのダンサーやプロデューサーによる指導を受けている。
日本に戻ってきてからも、デビューしているジャニーズグループとしては珍しく「ダンスレッスンを週1で受けている」と神宮寺は語っていた(TOKYO FM「ディアフレンズ」2020年9月1日放送)。平野も「週1で英会話を習っている」と発言するなど(「サンケイスポーツ」2021年8月10日付)、夢に向かって着実に行動をしていたはずだ。
平野がもつ「死への強い意識」
それでは、今回の平野の「もう遅い」「目標を失った」という発言は、何を意味するのだろうか。
現在25歳の平野は「もう遅い」のか――判断は人によって別れるところかもしれないが、そもそも平野は昔から自分の年齢を強く意識してきた。彼は20歳の誕生日を迎えたときのことを次のように語っている。
「その年の誕生日に思ったんです。“もう二十才じゃん”って」。地元の仲間に連絡をしたら、消防士になるという夢を叶えているのを知り焦ったのだという。「生き急いでいるようにも見える」と振られると、こう返した。
「明日どうなるかわからないって思いがどこかにあるかもしれないですね。小さいころの2回の手術。母親の大きい病。いつ何が起こるかわからない。それこそ明日死ぬかもしれない。昨日まで遊んでいた友だちを亡くした経験もあるんです」(『Myojo』2022年7月号)。
友人の死や自身の病気をきっかけに、“死を強く意識している”という思いを明かした。
平野は、ライブの最後に必ず「死ぬなよ!」とファンに向かって叫ぶ。「コンサートで僕と目が合わなくても、僕を見てくれてる人とか、僕と関わってくれてる人にはなるべく死なないでもらいたい」(フジテレビ「RIDE ON TIME」2018年10月5日放送)という思いを乗せて……。
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