このままだと強行突破されてしまう。「この期に及んでやめることはできない」ではなく、いったん踏みとどまって制度の問題点を見直し、今年度の導入は見送るべき――。
「ESAT-J」(イーサットジェイ:English Speaking Achievement Test for Junior High School Students)の実施が目前に迫る中、こうした導入反対を訴える声が高まりを見せている。ESAT-Jとは、都内の公立中学校に通う3年生を対象に行われる「中学校英語スピーキングテスト」のことで、生徒の「話す力」を評価しようというものだ。
実際のテストは生徒が1人1台、専用のタブレット端末を使って回答するコンピューター方式(以下、CBT:Computer Based Testing)で、英文を声に出して読む、質問に英語で答える、絵を見てストーリーを組み立てて英語で話すなどしたものを録音して採点する。通信教育大手のベネッセが、東京都教育委員会監修の下で作成したもので、初年度となる今年は11月27日に実施が決まっている。
なぜ、このESAT-Jに反対意見が相次いでいるのかというと、このテストの結果を都立高校入試の合否判定に使用するからだ。ESAT-Jの結果は20点満点で、AからF(20点〜0点)までの4点刻みで6段階評価されて調査書に記載。そして学力検査の得点、調査書点にESAT-Jの結果を加えた総合得点が算出されて合否が決まることになる※。
※例えば、学力検査の得点(500点)と調査書点(65点)の比が7:3の高校の場合の換算後の総合得点は、学力検査の得点が700点、調査書点300点にESAT-Jの結果20点を加えた1020点となる。この比が6:4の高校もある
不公平な入試になる可能性が高い制度上の問題点
「受験生の人生が変わる可能性があることを肝に銘じて、強行突破は踏みとどまるべき」と話すのは、立教大学名誉教授で英語教育が専門の鳥飼玖美子氏だ。
鳥飼氏は先月、慶応大学名誉教授の大津由紀雄氏、東京大学教授の阿部公彦氏、東京大学名誉教授の南風原朝和氏、京都工芸繊維大学名誉教授の羽藤由美氏らと共に、ESAT-Jの結果を都立高校の入試に使用しないことを求める要望書を東京都教育庁に提出した。
要望書では、不公平な入試になる可能性が高いこと、円滑な試験運営ができない可能性が高いことの2つを指摘。とくに病気やケガなどでESAT-Jを受けられなかった、あるいは都立高校志望だが「都外在住で都外の学校に通う」生徒のような制度上ESAT-Jを受験できない「不受験者」の扱いを問題視している。不受験者は、学力検査の点数が同じほかの受験者を参考に、仮の点数を算出して合否判定に使用するのだが、これが不公平になる可能性があるという。
「統計学が専門の南風原先生によれば、不受験者に実際よりも高い点数が与えられることも低い点数が与えられることもあり、それによってESAT-Jを受験した生徒と合否が入れ替わることもあります。不受験者が多い少ないではなく、制度上の問題です。東京都教育委員会(以下、都教委)は、専門家が警鐘を鳴らしていることに真摯に耳を傾け、問題の所在を明らかにしようという姿勢があってしかるべきでしょう」
不受験者の「仮のESAT-J結果」の算出例は、以下のとおりだ。英語学力検査の得点で順位を決め、不受験者と英語学力検査の得点が同じ者のESAT-J結果をそれぞれ点数化し、その平均値により不受験者の「仮のESAT-J結果」を求める。
不受験者には、都立高校を志望する「都内の国私立中に通う生徒」や「都内在住で都外の国私立中に通う生徒」の中にも出てくると考えられる。ESAT-Jの受験は可能なものの希望制で、必ずしも受験するとは限らないからだ。またこうした制度上の問題から「戦略的」に受験を避けたほうがいいのではないかと考える向きさえあるという。
約8万人の結果をフィリピンで採点、審査基準は非公開
さらに鳥飼氏は、話す力をコンピューターで測ることは可能とする専門家はいるとしつつも、スピーキングテストには限界を感じるという。
「実際のコミュニケーションで、相手の言ったことを1回しか聞くことができないなどふつうはありません。えっ、それどういうこと? と聞くことは母語でさえあり、どうやって聞き返すか、どうわかるように伝えるかを考えることもコミュニケーション方略の1つです。ESAT-Jでは熟慮しながら話したり、言い直したりはせずに、よどみなくしゃべることを求めています。相手の言うことを1回で聞き取って即座に返すことができる大人がどれだけいるでしょうか。いろいろな答え方があって当然で、決まり文句に押し込めてしまうことがコミュニケーションの幅広い可能性を奪ってしまいます」
今回、テスト当日の試験監督をアルバイトで集めているという情報もあり、機器の不具合や操作ミスへの対応など円滑な試験運営ができるのかも疑問視されている。それに加えて、テストの審査基準が不透明なことも不信感を抱かせる原因となっている。
約8万人の結果をフィリピンで採点するが、どのような資格を持ち、どんな訓練を受けた人が何人で評価するのか、評価が分かれたときはどう判断するのかがブラックボックスなのだ。文法は正確だがゆっくり考え時に止まりながらしゃべるのは駄目なのか、母語話者レベルの発音だが文法は間違っているとどうなのかなど、「審査基準を明らかにすべき」と鳥飼氏は訴える。
「ESAT-Jは、ベネッセが実施しているスコア型英語4技能検定『GTEC』と構成がそっくりです。日常的にGTECを受けている受験生のほうが慣れているのでスコアも上がりますが、肝心な中学校英語をスピーキングテスト対策で終わらせていいのか。それで将来英語が使えるようになるのか……定型表現の暗記だけで話せるようになるほど外国語は甘くはありません。中学校では基礎づくりがかえって早道、高校・大学と読んで書いて聞いて語彙力をつけて表現力を磨く努力をしなければ話す力は身に付きません」
たかが1回のスピーキングテストのための対策で、どれだけ話す力が高まるのかということだろう。「話す」力と「聞く」「読む」「書く」力は相関していると鳥飼氏は話す。しかも個人が力試しで受けるのと違って、入試に関わるスピーキングテストだ。不公平を招く可能性があるのなら、今年は「聞く」「読む」「書く」力を測るペーパーテストだけでも十分ではないかという指摘はもっともではないだろうか。
説明少なく、保護者からは悲鳴と怒りの声
一方、保護者はどのように考えているのか。「都立高校入試英語スピーキングテストに反対する保護者の会」で署名活動や街宣などに参加する中3の子どもを持つ保護者はこう話す。
「ESAT-Jについて学校から知らされたのは、今年4月のプリントが最初です。5月の進路説明会では学校に説明を求めましたが、詳しいことはわからないと。学校の先生、区や市の担当者も中身がわからないんです。ただ、校長先生を通じて都教委に質問ができると聞き、質問を送りましたが11月になった今も回答はありません」
都教委の誠実さに欠ける対応に憤りを感じながらも、都立高校が第1志望で、子どもの受験に必要と言われれば申し込みをせざるをえない。10月に入ってから学校の授業内でESAT-Jに向けた対策にも取り組んでいるというが、入試が刻々と迫る大事な時期に「本来学ぶべき内容に代えて特殊テスト対策をしている」と訴える。さらに中2の子どもを持つ保護者も続く。
「普段の授業でスピーキング力は評価されていて、成績に反映されたものが調査書になっています。わざわざ2月の筆記試験とは別の日にスピーキングテストだけやる必要があるのか。それもアチーブメントテスト(学習達成度測定テスト )です。入試制度に不受験者が存在することが問題なうえに、実施スケジュールなどの問題があるにもかかわらず、何でこんなに必死になって都教委が進めようとするのかわかりません」
ESAT-Jの結果が通知されるタイミングもぎりぎりだ。都立高校の入試は2月21日に予定されているが、生徒には1月中旬、学校には1月末に結果が届くとされている。教員はそこから調査書に点数を反映しなければならないのと、もしもESAT-Jの結果が悪かった場合は、「生徒に結果が来た時点で学校に相談してほしいと言われている。出願期間が2月1〜7日で、受験校変更に間に合うのか心配」と前出の中3生の保護者は話す。
さらに保護者の声で多いのは、個人情報の取り扱いの問題だ。テストの運営を担うベネッセは、2014年と20年の2度にわたりグループ会社で大規模な個人情報の漏洩を起こしていて、当時被害に遭った家庭も多くあり不安につながっているようだ。
福井県が「スピーキングテスト」を見送った理由
これまでに「スピーキングテスト」の入試への活用を検討し、結果的に見送った自治体がある。全国学力テストの上位常連県としても知られる福井県だ。
福井県では2018年度、話す力を県立高校の入試で評価するために、スピーキングテストのある英検を入試の点数に加点する制度を導入。英検3級は5点、準2級は10点、2級以上は15点で、英語の学力検査の得点と英検加点を合計し、上限は100点とする入試を実施した。19〜20年度には、英検取得による加点幅を各学校、学科がそれぞれ指定する3級以上または準2級以上に5点へと加点を見直した(上限は同じ)。
だが18年〜20年度と3年間実施した後に21年度には廃止している。「英語力の向上を目的に英検加点制度を導入したが一定の成果が得られたこと、受験者の過半が対象級を取得し、差が付きにくい状況になったことも大きい」と福井県の担当者は廃止になった理由をこう話す。
実際、英検3級の取得率が16年度に46.5%だったものが、19年度に61.4%まで向上。現在も福井県は、外部検定料の補助事業を通してスピーキング力の育成には継続して取り組んでいる。
当時の議論について担当者は「将来的なスピーキングテストの導入に向けた検討も行いましたが、周りへの音漏れの問題などは解決したもののコストや約2カ月にも及ぶ採点期間の問題で見送りを決めました」と話す。ただ、東京都の高校入試におけるスピーキングテストの導入状況や課題を分析して、他県の動向も踏まえて導入について慎重に検討するという。
こうした自治体は、福井県だけではないだろう。今年、東京都が都立高校の入試にスピーキングテストの活用を強行した場合、その後ほかの自治体へと広がる可能性は否めない。グローバル人材の育成、話す力の向上、そのためのスピーキングテストの導入は、多くの自治体が視野に入れているからだ。実際、来年度の全国学力・学習状況調査でも、中学校英語の「話すこと」調査をCBTで行う予定だ。
だからこそ、問題点があるならばクリアにしてから実施すべきではないだろうか。スピーキングテストの内容や実施方法についてはさまざまな意見があるものの、「やるからにはちゃんとやるべき」というのは専門家も保護者も視点は同じだ。
19年度からプレテストなどを重ねて準備してきた割には説明、周知不足なこと。制度上の問題点に対しても、指摘に対する十分な説明がはたしてあったと言えるのか。理解を得てから導入するのでは駄目なのか。公平性を担保すべき入試ゆえに、何より優先すべきことではないだろうか。
(文・編集部 細川めぐみ、注記のない写真:cba / PIXTA)