1993年6月の宮沢喜一内閣不信任案可決のとき、自民党を離党し、新党さきがけを結成したのは、冷戦の終結で自民党の役割は終わったとみたからだ。
55年の自民党結党の大義は、国の内外からの社会主義化、赤化の阻止だった。そのときに岸信介さん(後に首相)の指示の下できた党綱領には、戦争に対する反省がない。ある意味で自民党は歴史認識を棚上げしてできた勢力だった。89年に米ソ冷戦終結宣言が出て、冷戦後に備える手を早く打たなければと思った。
冷戦で棚上げしてきた戦争の問題が下りてくる。92年に細川護煕さんと東京のパレスホテルで3時間も話し合ったけど、先手を打たなければという認識だった。
冷戦終結で、保守は合同以前の自由党と民主党という形に戻るべきだと思った。それで93年に離党したけれど、政権参加は考えていなかった。10年くらいは少数精鋭で行こうと思っていたのに、小沢一郎さんの非自民勢力と自民党との間で思いがけずキャスティングボートを握る存在となった。
同時に、こちらから「この指止まれ」と呼びかければいいと気づいた。すぐに乗ってきたのが小沢さんの非自民勢力だった。向こうは経済政策や北朝鮮問題など、箇条書きの案文を出してきたけど、こちらは政治改革実行の特命政権を、と考えていたから、具体的提案を掲げた「政治改革政権」を提唱した。そうやって非自民8党派連立の細川政権が誕生した。
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