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宮沢喜一氏は心の底から湛山の弟子と思っていた 田中秀征 その1(全4回)

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1990年代の政界再編を先導し、現在は政治コメンテーターなどでも活躍する田中秀征・元衆院議員が回顧する。

たなか・しゅうせい●1940年生まれ。83年、衆院初当選。93年新党さきがけ結成、代表代行。細川政権の首相特別補佐。第1次橋本内閣で経済企画庁長官など歴任。(撮影:梅谷秀司)

私の初当選は83年総選挙だが、86年総選挙で落選し、平成時代の幕開けのときは北海道大学に学士入学して勉強中だった。天安門事件、冷戦終結、ソ連解体から始まる平成史はポスト冷戦史だった。歴史的な事件が次々と生じる中で、とにかく勉強しなければ、と思った。

政治を志したのは石橋湛山先生の影響が大きい。初出馬の72年総選挙の前、石田博英さん(元労相)から入院中の石橋先生のお見舞いに「君も一緒に行くか」と誘われたが、「当選後に」と遠慮し、結局、73年4月に先生が亡くなったため、お会いせずに終わった。

私が社会主義者にならなかったのは、保守の石橋湛山という縛りが強かったからだろう。第2次世界大戦について、極めて少数の愚か者の拡大膨張主義が戦争を起こしたという認識がずっと頭にあり、戦後保守の流れの中で、「戦争は間違いだった」という、石橋湛山思想と重なった。そこが政治に踏み込んでいく大きな理由だった。

平成初の90年総選挙で返り咲いて、懸命になったのは長野オリンピック招致と宮沢喜一内閣をつくることだった。宮沢さんは終戦直後の石橋蔵相を身近で支えたこともあって、心の底で湛山の弟子を自認していた。

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