金沢市内で講演を頼まれ、主催者が気を利かせて北陸新幹線の切符を用意してくれた。今までは羽田から小松への航空便だったが、実際には所要時間はほとんど変わらないか、新幹線のほうが早いのかもしれない。
長野から先はあまり行ったことがないので楽しみだった。勝手に脳裏に描いていたのは、飯山などの北信地方の風景、日本海に突き当たり西に向かう鉄路脇の海浜の姿などだった。が、いずれの風景も頭の中だけで終わった。
飯山、上越妙高駅を過ぎると鉄路は大きく左折し、長いトンネルが続く。着いたのは糸魚川だ。ここでチョットだけ海が見えた。乗った電車の次の駅は富山、その次は金沢だ。天気がいいので立山連峰の雪嶺は迫力をもって迫ってきたが、線路は内陸部に敷設されたので日本海の海岸線は遠く、私自身の“早のみ込み路線”は幻に終わった。
金沢は訪問客でかなりにぎわっていた。何度も訪れているが、随分前に私は「金沢はすばらしい観光都市ですね」と言って、市内の有力者から反論されたことがある。
「金沢は観光都市ではありませんよ」「?」「文化都市です」
私は即座に納得した。多少金沢の歴史に関心を持つ私には、その人の言うことがすぐ理解できたのだ。
江戸時代、商人には課税されていなかった。儒教の影響で「農工業者は生産者だが商人は非生産者である」という偏ったレッテルを張られたためだ。上納金(献金)はかなりむしり取られたが、それでも可処分所得が手元に残る。これを自分のぜいたくのために使えば、淀屋辰五郎や紀伊國屋文左衛門のように幕府から処断されてしまう。
結局、商人たちがカネの投入先としたのが文化だった。文化創造者(文人・画家・ものを作る人・芸能人など)への投資だ。これらの人々のパトロンやスポンサーになった。だから乱暴な見方をすれば、江戸時代の大都市文化はそこの大商人がかなり関与し、誤解をおそれずにいえば“大商人文化”といっていい。
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