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ライフ #生涯現役の人生学

中さんと阿波踊りを踊った 享年104歳のピュアな童心

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中一弥さんが亡くなった。104歳の現役挿絵画家だ。私の指標の一人だった。年齢だけでなく人柄に対してである。一緒に阿波踊りを踊ったことがある。

徳島新聞に時代小説(『よしこの太平記』。単行本では改題して『蜂須賀重喜』)を連載したとき、中さんが挿絵を描いてくださった。中さんの画風が妖艶なものから、南画風なものに変わった頃のことだ。

新聞社から阿波踊りへの招待がきた。条件がついていた。「お二人で踊ること」。生まれて初めての経験だが、“当たって砕けろ”で、とにかく行くことで合意した。

飛行機が空へ昇ると中さんがモジモジして聞く。「大丈夫でしょうね」「何がですか」「この飛行機、落ちませんよね」「大丈夫です。僕も今落ちられると困りますから」「そうですよね」。一応安心したものの中さんは落ち着かない。しきりに胸のあたりに手をやる。気になって聞いた。「お守りですか」「そうです。女房の骨です」「え」。

私は絶句した。先立った奥さんの骨の一片を袋に入れて、首から吊るしているのだという。「心強いお守りですね。きっと奥さんが守ってくださいますよ」「私もそう思ってます」。胸がジーンとした。中さんのピュアな汚れを知らない童心に圧倒された。はるかに若い私のほうが、中原中也の詩う“汚れっちまった悲しみに”浸っているような気がした。

妻の骨を肌身離さず持ち歩いた人は歴史にも例がある。上田秋成がそうだ。『雨月物語』や『胆大小心録』などを書いた、江戸後期の国学者であり小説家だ。大坂の豪商、上田家の養子として育てられた。ヒガミ根性が頻りで『胆大小心録』では本居宣長のような大物の『古事記』研究を、「ものごい」の呼称に変えて皮肉っている。「食うに困らねえ家で育ちやがって、別にヒガむ理由なんかねえじゃねえか」。江戸の長屋の八公の子孫である私は、秋成の執筆の動機をそうののしったものだ。

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