「魯西(シ)亜(ア)国と日本国と、今より後懇切にして無事ならんことを欲して、条約を定めんが為、魯西亜国ケイズル(皇帝)は、全権アチュダント・ゼネラール、フィース・エフィミュス・プチャーチンを差越し、日本大君(将軍)は重臣筒井肥前守、川路左衛門尉(聖(とし)謨(あきら))に任じて、左の条々を定む」 安政元年(1855)12月21日に結ばれた「日本国魯西亜国通好条約」の前文である。条文は9条にわたっている。「通好」とあるように「仲良くしましょう」という趣旨が主であって、“通商”すなわち“貿易”に関しては細かい規定はない。アメリカのペリーと結んだ「日米和親条約」と同じ趣旨のものだ。他国へ向かう途中、船(艦)中で食糧・燃料・水などの不足を生じたときの補給、病人の上陸介護等の、中継基地になってほしい、わかりましたという内容だ。
ただ露西亜との条約には北方領土の帰属が定められている。
「第二条 今より後、日本国と魯西亜国との境はエトロフ島とウルップ島との間にあるべし、エトロフ全島は日本に属し、ウルップ全島、夫(それ)より北の方クリル諸島は、魯西亜に属す、カラフト島に至りては、日本国と魯西亜国の間において、界を分たず、是迄の仕来之通たるべし」 興味深いのはカラフトの扱いで、国境は設けない、これまでの仕(し)来(きた)りどおり(というのは、どっちにも属さないということ)にしよう、という合意だ。当時のカラフトには和人(日本人)・ロシア人・アイヌ・黒龍江沿岸人・中国人・朝鮮人など、多彩な人々が住んでいたから、簡単には定めきれなかったのかもしれないが、“どこの国にも属さない地域”の措定は、“国盗り合戦”の世界状況に一つの示唆を与えてくれる。
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