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ライフ #生涯現役の人生学

やるまいと思えどやはり 自分ルールとその限界

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やるまいと思えどやはりやっている──。近頃の私の感懐だ。やはりやっているというのは、本や新聞のページをめくるときに指をなめて唾(だ)液(えき)をつけることだ。

若い頃、私は“くらしの美学”として、三つのことを自分に禁じた。一つ目はページをめくるのに指をなめないこと。二つ目は食事で割りばしを使うときに2本をすり合わせないこと。三つ目は食べ終わった後に使った割りばしを折らないこと。なぜだと聞かれても理由をうまく説明できない。直感か本能によるもので、「ただイヤだからイヤなんだ」というより説明のしようがない。

割りばしについては、老人が「すり合わせると死んだ人が嫌がる」と言ったので、それをそのまま信じている。もちろん、割ったときに発生するケバのようなものをそのままにしておくと唇を傷めるからそうする人がいるということは私も十分知っている。そして私の使う割りばしにもケバは発生する。私の場合だけ特例があるわけではない。

ただ老人の言ったことが耳の底にこびりついていて、私にはどうしてもあのすり合わせができない。側にいる死んだ人の嫌がる悲鳴が、泣き声となって響き続けるからだ。では私の場合どうしているのか。ケバに触れないように細心の注意を払う。だからすごく緊張する。「バカだな、おまえは」と自身をあざ笑う。

見えなのだろうか、気取っているのだろうか、自意識過剰なのだろうか。しかし何と言われようとも嫌なのだ。そして食べ終わった後、ピシッと力を込めて2本の割りばしを折ることはさらに堪えがたい。折られた割りばしの悲鳴が聞こえてくる。

だいたい何のために折るのだろう。まさかその店でその割りばしをもう一度使わないようにする予防措置ではあるまい。あるいは勤め先でたまった憤(ふん)懣(まん)を割りばしにぶつけているのか。本当なら折る人に「なぜ折るのですか」と聞けばいいのだろうが、そんな勇気はない。だからこの件に関してはいまだに解明できないでいる。目撃するたびにピシッと自分が折られたような思いを、胸の中でかみしめているだけだ。

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