前立腺の加療中に別方面から追撃が来た。目だ。いま眼鏡を掛けて仕事をしている。老眼と乱視だ。かなり度は強い。最近はさらに拡大鏡を併用する。
「眼鏡を作り直したほうがいいよ」。娘に言われてその気になった。なじみの店は眼鏡店とはいわない。眼鏡院といっている。したがって、店主は院長だ。が、決して権威ぶった人物ではなく街の面倒見がいい。私とも長い付き合いだった。9年前に亡くなり息子さんが跡を継いでいる。現状を話し検眼をしてもらった。そのときに今掛けている眼鏡を外し「これはいつ作っていただいたんでしたっけ」と聞いた。息子さんは「9年前です。これを作ってまもなく親父は亡くなりました」と応じた。思わずハッとした。「そうですか。そんな因縁がありましたか」と、にわかに感慨深くなった。
が、検眼をすると左目は9年前からほとんど変化なし。しかし右目は黒い幕が掛かりおまけに小さな鳥がたくさん飛び回っている。そのことを言うと「そうですか」。息子さんは検眼を中止した。「このまま眼鏡を作り直してもムダです。まず眼科医に診てもらってください」「わかりました。どなたか紹介してくださいますか」「お近くがいいでしょうね」「ぜひ。仕事場から歩いていける距離で」。息子さんは苦笑いし、連絡してくれた。仕事場から歩いて2分くらいの、大きな文具屋さんの2階だ。そこへ行った。
前立腺のクリニックの待合室とは雰囲気が違う。皆、目を患っているせいか“目つき”が悪い。ニラまれているような気がし、新参者の引け目もあって小さくなっていた。番が来て検眼をし、薬を目にさされて30分の待機を指示された。薬が目にしみ渡ったら写真を撮って、患部を精査するのだという。
前立腺を患い、今度は目がおかしくなって医院のお世話になる私が何よりも学んだのは“我慢”である。忍耐だ。それは「人間に例外はない」という、現実認識が起点になっている。今までの私には自身の健康について、かなり過信のきらいがあった。小学校の同窓会に行っても、体の故障を訴え合う同窓生に必ずしも同調はしなかった。冷ややかに応じた。それは、まだそういう思いをしていない自身の優位性を誇っていたからだ。だから「オレは違うぞ」と自分を枠外に置く傲慢さがあった。
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