現在、さいたま市教育委員会では計168校、約6000人の教職員を管轄している。生徒数も約10万3000人と規模が大きく、GIGAスクール構想をスムーズに推進するには、相応の対策が必要になるといえる。さいたま市教育委員会教育長の細田眞由美氏は、その対策について次のように語る。
「当初、GIGAスクール構想の導入期限は2023年度でした。それがコロナ禍によって、20年度末までと一気に早まってしまった。体制を早急に整えなければならない中で、われわれは、まず何をしなければならないのか――。スタッフらと議論する中で気づいたのは、私たちは教育のプロフェッショナルではあるが、ITのプロフェッショナルがいないということでした。
しかし、もう手をこまねいている状況ではない。そこで新たにデジタルトランスフォーメーション(DX)人材を採用することにしました。ただ、世の中でDXスペシャリストは引く手あまたで採用は難しいはず。そこで、副業兼業のスキームで募集することにしました」
早速、今年9月から人材サービス会社・ビズリーチの協力を得て採用活動をスタートさせたが、その結果は意外なものだった。採用人数4人の枠に、何と688人の応募があったのだ。最終的には、IT企業やコンサルティング会社に在籍の5人を採用。10月から本稼働することになった。民間から専門人材を募ってGIGAスクール構想を推進するケースは、全国的にも珍しいという。その効果は、実際どうなのだろうか。
エバンジェリストが、ユースケースを集中的に学ぶ研修
「もうびっくりです。『こんな発想があったのか』と斬新なアイデアをもらっており、今プロジェクトを進めているところです。インフラ整備に加えてセキュリティー対策、それにコンテンツの拡充など、やることは山ほどあります。それをいかに早く、われわれらしくオリジナリティーを出しながらやり遂げるのか。新たに5人の仲間に入ってもらい、今まさに私たちは“さいたまモデル”を構築しているところです」
その“さいたまモデル”とはどのようなものか。まず教職員のITリテラシーを向上させるために、各学校から4~5人のIT伝道師ともいうべき“エバンジェリスト”を選抜。そして彼らに「実際、ICTを現場でどう使うのか」というユースケースを集中的に学んでもらう。それを各学校に持ち帰って、ほかの教員に広めてもらう研修・指導を行っていく。つまり、各学校が自走していくためのスキームを構築するのである。同時に教育長が、168人の校長と車座になって意見交換する機会を頻繁に設けて、GIGAスクール構想の内容について理解や意思の統一を図っているという。
「さまざまなICT活用法について、具体的なユースケースを共有することが大事だと考えています。これからの学校教育がどのように変わっていくのか。校長、教職員の皆さんに統一したイメージ、手段を持ってもらうためです。そのためにインフラ、セキュリティー、コンテンツなどカテゴリー別にそれぞれ教育委員会のスタッフ、教職員、DXスペシャリストが横連携しながら、全体のプロジェクトを動かしていくという仕組みをとっています」
細田氏をトップに「さいたま市GIGAスクール推進本部会」をつくり、DXスペシャリストを中心に教育委員会のスタッフと教職員らでプロジェクトチームを結成。さらにその下にインフラ、セキュリティー、コンテンツなど部門ごとに実行部隊となるワーキンググループを配置し、各学校のエバンジェリストが現場に落とし込んでいくという仕組みだ。同時に各学校でも、ICT教育推進部を必置とし、各エバンジェリストが動きやすい仕組みを導入した。
「想定以上にスムーズに動いています。現在、約10万3000人の全生徒に情報端末を配布できるメドは、来年の2021年2月。学校の高速大容量のネットワーク工事をしつつ、情報端末についてもベンダーの方々と折衝し、ようやく調達できるようになった状況です。生徒数も多いため、作業は本当に大変です。しかし、学びのパラダイムシフトが早まったという点では、大きなメリットがあります。日本のICT教育は諸外国と比べて周回遅れですが、今回それが一気に進むことになった。作業は大変ですが、期待感があります」
800超のデジタルコンテンツが集まった「スタディエッセンス」
その一方で、さいたま市教育委員会ではコロナ禍の休校中においても、独自の取り組みを行ってきた。それがデジタルコンテンツ「スタディエッセンス」だ。
「長く教育の世界にいますが、まさか学校が休校になるなんて想像したこともありませんでした。しかし、何としても子どもたちの学びを止めてはいけない。そこで教育委員会内の指導主事が、デジタルコンテンツを作ろうとなったのですが、やはり限界がある。ならば6000人の教職員たちの英知を結集させて作ればいいと思ったのです。もちろん当初は手探りの状態でしたが、突貫工事で何とか作り上げました。結果として、800を超えるコンテンツが集まりました」
ただ、課題もあった。コンテンツに優劣があったのはもとより、各家庭で子ども専用の情報端末を持っている率が30%以下だったのだ。ちょうどこの時期は、在宅勤務となる会社が増え、親も自宅でPCを使って仕事をする必要に迫られた。また、兄弟がいる家庭では複数の端末が必要になるため、「子ども専用」となると所有率が極端に低くなってしまうのだ。しかも、小学校低学年では情報端末を1人で使いこなすのが困難であるうえ、すべての児童が授業時間どおり、自宅で集中できるわけでもない。そんな学習の自律性も問われた。
「子どもが集中できる時間は10分から15分程度。子どもに負荷をかけさせないコンテンツと、そうでないコンテンツもあります。ただ、今回の『スタディエッセンス』の取り組みによって、改めてコンテンツの重要性に気づかされました。対面授業が始まった現在も、『スタディエッセンス』は予習・復習教材として使用されていますが、この取り組みで明確になった課題をGIGAスクール構想にも生かしていきたいと考えています」
今回のコロナ禍の中で細田氏は、これまでの同年代の子どもたちが同じ学びやに集い学ぶという学校のありようの“終わりの始まり”を感じたという。しかし、対面授業開始後に、子どもたちが喜ぶ様子を見て、その考えを改めた。
「リアルに子どもたちが集まって、ディスカッションしたり、一緒に体験したりする意義深さを今さらながらに痛感しました。その一方で、教育におけるICTの活用についてポテンシャルの高さも実感した。つまり、リアルとデジタルをどのように融合させていくのか。そうやって教育のパラダイムシフトを実現させていきたい。私はそんなアプローチもあると思っています」
とくにICTは、個別に最適化された学びにアプローチできる点を評価しているという。通常の授業だと、平均か少し上をターゲットに授業を行うが、それだと「吹きこぼし」が出てしまう。内容がわかっているから授業がつまらないという子どもと、わからなくて授業がつまらない子どもが出てしまうのだ。ICTを使うことによって、子ども一人ひとりの学びに合わせることが可能で、教員も個別にフィードバックできる時間が増え、つまずきも見えやすくなるという。
今、さいたま市教育委員会ではICTのほかにも、実社会にある課題と向き合い新しい価値を生み出す思考力を育成するために「STEAMS教育(STEAMにSportsを加えたさいたま市独自の取り組み)」やSDGs教育など21世紀型の学びも強化している。この中で、ICTをフル活用しながら社会とつながる協働的、探究的な学びを推進していく。
「これから学びのスタイルは確実に変わっていきます。情報端末がすべての子どもに行き渡れば、自宅での学びも変わっていくでしょう。今回のコロナ禍というピンチをただやり過ごすのではなく、最大限チャンスに変えていきたい。そのためにも“さいたまモデル”を早く構築して、多くの教育現場で活用できればと考えています」
(写真:梅谷秀司)