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「実は南海の要衝」岸里玉出、駅長に聞く日常風景 地元民だけが知る「都会のローカル線」の終着駅

かつての南海電車「岸の里停留場」(写真:南海電鉄)
かつての南海電車「岸ノ里駅」(写真:南海電鉄)
かつての「玉出駅」駅舎(写真:南海電鉄)
かつての「玉出駅」ホーム(写真:南海電鉄)
かつての「玉出駅」構内。踏切の向こうに玉出本通商店街の看板が見える(写真:南海電鉄)
北側上空から見た高架化工事中の様子=1990年(写真:南海電鉄)
北側上空から見た高架化工事中の様子=1990年(写真:南海電鉄)
高架化された南海本線。高野線はまだ地上を走っている=1993年5月(写真:南海電鉄)
駅南の玉出側から見た南海本線の高架ホーム=1993年5月(写真:南海電鉄)
駅南の玉出側から見た南海本線の高架ホーム=1993年5月(写真:南海電鉄)
岸ノ里駅と玉出駅は統合されて「岸里玉出駅」となった(写真:南海電鉄)
高架化された南海本線。奥に見えるのは天下茶屋駅=1993年5月(写真:南海電鉄)
現在の岸里玉出駅の岸里口。南海本線の高架下に出入り口がある(記者撮影)
かつての駅舎を彷彿させるステンドグラス(記者撮影)
岸里口の窓口と改札機(記者撮影)
岸里口には駅係員が常駐して利用者からの問い合わせにも対応(記者撮影)
岸里口の券売機は1台(記者撮影)
内側から見たステンドグラス(記者撮影)
のりばへは改札を入って階段を上がる(記者撮影)
改札内から見た岸里口(記者撮影)
岸里口の階段を上がると広いコンコース(記者撮影)
岸里玉出駅の出口は2つ(記者撮影)
のりばは1~4番と6番。時刻表はそれぞれ平日用と土休日用がある(記者撮影)
やたらと広い駅構内。中央の階段を上がると……(記者撮影)
南海本線のホーム。普通しか停まらないため通過列車が多い(記者撮影)
南海本線のホーム上の駅名標。隣駅は天下茶屋と粉浜(記者撮影)
ホーム北端から見た天下茶屋方面。右側2本が高野線(記者撮影)
ホーム南端から見た粉浜方面(記者撮影)
南海本線の岸里玉出―住ノ江間は方向別複々線(記者撮影)
南海本線のホームから見た汐見橋線のホーム(記者撮影)
汐見橋線は高野線の汐見橋―岸里玉出間の通称(記者撮影)
運用上は南海本線・高野線高野山方面から独立している(記者撮影)
いちばん西の6番のりばは汐見橋線のホーム(記者撮影)
汐見橋線のホームから見た南海本線と高野線の電車(記者撮影)
汐見橋線は2両編成のワンマン運転(記者撮影)
汐見橋線は「都会のローカル線」とも呼ばれる(記者撮影)
行き先表示でも「岸里玉出」が存在感(記者撮影)
岸里玉出駅を管轄する南海電鉄大阪管区新今宮駅長の砂尾次秀さん(記者撮影)
汐見橋線のホームからコンコースへ下りる階段(記者撮影)
汐見橋線のホームを下りると岸里口は近い(記者撮影)
高野線の“もう一方“のホームは長い連絡通路の先にある。今宮戎と萩ノ茶屋に停まるのは高野線の電車だけ(記者撮影)
高野線・南海本線とも日中は15分に1本の各停・普通しか停まらないが、どちらに乗っても難波には行ける(記者撮影)
案内は親切でも、初心者は立ち止まって考え込んでしまいそうなほど複雑な駅構内(記者撮影)
高野線のホーム。はるか先まで続いているが……(記者撮影)
長過ぎるため現在は画面奥の堺東方は使われていない(記者撮影)
和泉中央方面と結ぶ泉北線の電車も走る(記者撮影)
堺東方から見た高野線のホーム。北端の階段下に連絡通路がある(記者撮影)
高野山の極楽橋行きの特急「こうや」が通過(記者撮影)
高野線ホームの駅名標。下りの1駅隣は帝塚山。ナンバリングでは「NK06」から「NK51」へ急に飛ぶ(記者撮影)
こちらは岸里玉出駅の南口にあたる玉出口(記者撮影)
玉出口も南海本線の高架下にある(記者撮影)
目の前に玉出本通商店街(記者撮影)
左は運輸車両部上級主任の上田宙史さん。砂尾駅長は泉佐野駅や本社で上田さんの上司だった(記者撮影)
上田さんは助役時代、朝の始発前にシャッターを開けに来ていた(記者撮影)
朝は1人でエスカレーターやエレベーターの電源を入れて回るという(記者撮影)
玉出口側の改札口は長い通路の先に(記者撮影)
玉出口の改札に駅係員は常駐しておらず、インターホンで対応(記者撮影)
岸里玉出駅からの運賃表。難波や汐見橋、堺東までは大人240円(記者撮影)
西天下茶屋―岸里玉出間を走る汐見橋線の電車(記者撮影)
岸里玉出駅の高野線ホームの下には阪堺電気軌道阪堺線が通る(記者撮影)
阪堺線も運行本数は多くない。ここから南、住吉鳥居前まで紀州街道を走る(記者撮影)
南海電気鉄道には南海本線と高野線という2つの幹線がある。南海本線は和歌山市方面の特急「サザン」や、…