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全国に名車続々登場、「私鉄特急」黄金期の記憶

近鉄米野車庫で、当時発行されていた月刊鉄道誌「レールガイ」の表紙用に撮影した10100系(撮影:南正時)
木曽川を渡り名古屋に向かう10100系「ビスタⅡ世」。近鉄長島—近鉄弥冨間(撮影:南正時)
初秋の海抜0メートル地帯を走る10100系「ビスタカーⅡ世」。1976年9月、弥富付近(撮影:南正時)
10100系「ビスタⅡ世」は名阪ノンストップ特急 として使用され、車内もリクライニングシート のゆったりしたものだった(撮影:南正時)
ビスタⅡ世の車内では当時の飛行機のサービスと同じ温かいおしぼりがサービスされた(撮影:南正時)
車内の片隅にある車販準備コーナーではおしぼりや、コーヒーなどが乗客にサービスされた(撮影:南正時)
1967(昭和42)年に登場した「スナックカー」 12000系、多客時にはビスタカーと増結された(撮影:南正時)
陽春の北関東を走るデラックスロマンスカー。昭和50年代初頭、栗橋付近(撮影:南正時)
南海の20000系特急「こうや」はデラックスズームカーと呼ばれていた。その愛くるしいスタイルは多くの観光客の心を捉えた。学文路—九度山間、1977年7月(撮影:南正時)
パノラマウィンドウが特徴の名鉄7000系「パノラマカー」はオール自由席の通勤通学電車として運用されていた。その最前部のパノラマ席を確保するのが子供たちの憧れだった(撮影:南正時)
桜花爛漫の箱根路を行く小田急ロマンスカーNSE。かつて小田原―箱根湯本間のレールは箱根登山鉄道と共用のため三線軌条だった(撮影:南正時)
冬晴れの相模路を快走するハイデッカーロマンスカーHiSE10000形。伊勢原―鶴巻温泉間、1988年1月(撮影:南正時)
新雪の富士山をバックに新宿に向かう小田急ロマンスカーLSE「はこね」。新松田—渋沢間(撮影:南正時)
新緑の飛騨川に沿って走る名鉄特急キハ8000系「北アルプス」。高山本線焼石—飛騨金山間(撮影:南正時)
Super Express SE車がデビューしたとき、その姿を初めて見た当時の人々はその斬新な姿に驚いたであろう。私もすっかり魅せられた(撮影:南正時)
新雪の冬晴れの高麗川を渡る西武5000系レッドアロー「ちちぶ」。吾野—東吾野間、1977年12月(撮影:南正時)
登場時はクリームとマルーンのシックな塗り分けだった京成スカイライナーAE車(撮影:南正時)
二代目AE100形はモデルチェンジして1990年6月に登場した。1990年、宗吾車庫にて(撮影:南正時)
北信五岳を望む秋の信州を走る長野電鉄2000系特急「奥志賀号」。都住—桜沢間、1976年11月(撮影:南正時)
近鉄ビスタカーや小田急ロマンスカー、東武DRCなど、大手私鉄各社は昭和30~40年代にかけて工夫を凝らし…