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キャリア・教育 #秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像

藤堂高虎だけではない!秀長を支え続けて"家臣団トップの給与"が与えられた、超有能な「最強の側近」

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豊臣兄弟! 豊臣秀長
郡山城(写真: オフィスK / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

INDEX

大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、秀長の家臣で「築城の名人」と称された藤堂高虎にスポットライトがあたることになったが、秀長を支えた有能な人材は高虎以外にもいた。

天正13(1585)年に四国征伐の功績などによって、兄・秀吉から大和国を与えられた秀長。それ以後の文書に、秀長の家臣として頻繁に名を表すのが、横浜一庵(よこはま いちあん)である。

一庵は秀長の「三家老」の一人で筆頭家老として、家臣団を支えた。 40歳足らずで出家してからは「一庵法印」「一晏法印」、さらに「大蔵卿法印(おおくらきょうほういん)」とも名乗った。

大和で5万石が与えられた秀長の側近

出自についてはよくわかっていないが、『戦国人名辞典』での記載から、天文19(1550)年に生まれたようだ。

『多聞院日記』によると、父親の名前は「四郎三郎」でケンカが原因で亡くなったらしい。そんな血気盛んな父を反面教師にしたのかもしれない。一庵は天正15(1587)年の島津征伐においても従軍することなく、郡山城の留守を預かりながら、軍勢の出陣体制を整備した。

自身も補佐役タイプだった秀長は、後方支援の重要性をよくわかっていたのだろう。一庵には大和国内で5万石と、秀長の家臣中で最も高禄が与えられていた。

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