そのほか、総持寺や城内の天満宮の修築を担ったり、寺社の寄進や地侍の監視にあたったりするなど、内政面でも秀長を支え続けた。九州征伐でも秀長軍として出陣している。
秀長と秀保の死によって大和豊臣家が断絶すると、秀吉の直臣となったが、慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いでは東軍につき、和歌山城を守った。
千利休に茶の湯を教わるなど文化人として活躍。慶長11(1606)年に没するが、82年の長寿を全うしている。
個性あふれる家臣が秀長を支える
そのほか、横浜一庵や羽田正親と同じく「三家老」の一人とされる小川下野守や、石田三成の義父である宇多(尾藤)頼忠、秀吉にも仕えたキリシタンの黒田直之、材木の管理をしていた吉川平介など、個性あふれる家臣たちが秀長を支えた。
大河ドラマ『豊臣兄弟!』もいよいよ終盤。秀長の家臣たちの活躍が、どれほど見られるのか、楽しみである。
【参考文献】
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
柴裕之編『豊臣秀長 シリーズ・織豊大名の研究』(戎光祥出版)
新人物往来社編『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社)
河合敦著『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)



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