──昭和10年代と現在、何がどう似ているのですか。
田中 地方の衰退という経済的な土台に類似性が認められる。今は地方都市を歩くと、日中でも駅前に誰もいないことがある。商店街はシャッターの下りた店舗ばかり。農家は廃業。鉄道は大赤字で廃線となり、地域によっては生活インフラの維持が難しくなっている。
人は貧しくなると、誰かに責任を求めたがる。例えば、昭和恐慌から農村部の貧困が深刻化したことは、2.26事件につながるナラティブ(物語)となった。今は政治体制が異なるので同じ道をたどるとは言い切れないが、戦争や総動員体制の「前夜」に向かう土壌が整っていないとも言えない。
片山 当時は人や富を農村部から都市部へ移し、工業化を加速していた時代だ。是非はさておき、地方を犠牲にして国全体を豊かにする、という意志があった。今はそういうビジョンすらない。第1次産業から第2次、さらには第3次産業への移行まで完了し、いかに人を安く使うかという資本主義の論理がむき出しになった。歴史をなぞるどころか、悪い意味で前に進んでいるとも言える。
強いリーダーを求める雰囲気が広がった
──なぜ今、国家が戦争に向かうメカニズムに着目したのですか。
片山 昔の日本政治には、天皇が心理的重圧として効いた。あんまり偉そうにすると天皇に畏れ多いから抑制しよう、という意識が働いた。ゆえに、第2次世界大戦へと続く戦争の時代でも、権力の一極集中、全面統制には一定のブレーキがかかった。換言すれば、ファシズムは未完に終わった。
戦後に象徴天皇制へと移行した後も「畏れ多い」という感覚は残り、独裁者の登場を阻んできた。「黙って俺について来い」というやり方は許されなかった。
しかし世代を経るにつれて、保守政治家もこの感覚を持たなくなった。むしろ権限の強いアメリカ大統領をうらやましく思ってさえいる。そこに経済的な豊かさを失い、気持ちに余裕を持てない国民の状況が重なって、強いリーダーを求める雰囲気が広がった。
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