由紀さんは大学生になると、コートを購入した近鉄百貨店上本町店の「フランドルクラブ」に、よく顔を出すようになった。高校時代には人混みに出ることに抵抗があったが、年齢を重ねると出かける街も変わっていった。
身長172センチですらりとした由紀さんは、店員から「今うちのお店、アルバイトを募集しているよ、よかったらどう?」と勧められた。
そこで、大学2年の夏、セール期間中だけ試しにアルバイトをすることになった。大阪だけでなく、神戸や京都のプランタン、パルコ、ビブレなどの店頭に立った。当時はまだセールが7月半ばに開催されていたため、夏休みのアルバイトとしてもちょうどよかったのだ。
「時給は700~750円で、当時のバイトとしてはまぁまぁいい方でした。でも、友達はミュンヘン(大阪の老舗ビアホール)でバイトしてて、破格の1000円でしたよ」
80年代のセールは女たちの戦場
1980年代の人々のセールに向ける情熱はすさまじいものがあった。「当時はセールのために夜中からファッションビルに並ぶ人がいたんです」と由紀さん。
1980年代は、ファッションブランドのセールひとつとっても、現代とはまるで違うものだった。由紀さんは、「当時はセールではなく『バーゲン』と呼んでいました」と笑う。
「私がアルバイトをはじめる少し前に、ほかのファッションビルで将棋倒しの事故があったんです。なので、たくさんの人が並んでいるのを見たときは、とても怖かったです」
ハンガーやトルソーに掛けた服は一瞬ではがされてぐちゃぐちゃになった。一日中、畳んではぐちゃぐちゃになり、また畳む、の繰り返しだったという。
トルソーに掛けてあった人目を引く服はすぐに売り切れ、ほかに着せる服がなくて、裸のまま売り場に立てていたそうだ。なんだかシュールな光景である。
また当時は、クレジットカードの読み込みはカーボン用紙を使って、カードの凹凸を物理的に複写していた。現代のように「ピッ!」と一瞬で終わらず、手でガチャッとスライドさせる必要があったため、セールのときは件数が多くて大変だったという。
由紀さん自身も客としてセールに参戦した。「バーゲンの日程がわかるとスケジュールを組んで、どのお店に最初に行くか、どんな順番で回るかを、友達と一緒に作戦を立てました」
しかし、必死になって奪い取って買った割にはサイズが小さかったり、どう着ていいかわからないものを買ってしまうような失敗も経験した。「その反面、プロパー(定価)ではとても手が届かなかった服を見つけたときは、うれしかったです」。
当時の由紀さんは『Olive』と並行して、同じマガジンハウスの『an・an』も愛読するようになっていた。『an・an』には、由紀さんも大好きだという、作家の林真理子さんによる巻末エッセイが、1985年より連載されている。


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