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ライフ #不安な時代、不機嫌な人々

登録者数60万人超え人気YouTuberが「既婚&子どもあり」公表で大炎上…「貧困ポルノ」と気づかず見た人々の残酷な落とし穴

9分で読める
YouTube「絶望ライン工ch」より
貧困系YouTuberの炎上にみる「貧困ポルノ」のグロテスクな構造とは?(画像:YouTube「絶望ライン工ch」よりスクリーンショット)
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かつて社会心理学者のトーマス・A・ウィルズが提唱した「下方比較」(Downward Comparison)そのものだ。自分よりも恵まれていない、能力が低い、または不幸な立場にある他者と自分を比べることで、主観的な幸福感や自尊心を高めようとする社会心理学の理論を指す(Downward comparison principles in social psychology/Psychological Bulletin)。

そのため、「実は結婚して温かい家庭を築いていた」という現実が明かされた瞬間、視聴者の心理的安定は崩れ落ちてしまったのだ。怒りの本質は、嘘をつかれたことへの憤りではなく、コスパの良い優越感を買っていたはずが、結果的に「不幸ではない人間の収益を支えていた」という大いなる皮肉にある。

映画や小説、あるいはマンガであれば、作者や演者が私生活でどんなに裕福で幸福であっても作品価値は揺らがないが、YouTubeなどのSNS型メディアにおける貧困コンテンツは、「実在する個人の生の苦悩」というリアリティこそが価値の源泉(商品価値)となっている。

チャンネル側がいくら「動画にはフィクションが含まれている」と予防線を張っていたとしても、給与明細や狭い部屋での生活といったディテールを切り売りしていた以上、読者との間には「惨めな当事者であること」を前提とした無言の契約が結ばれていた。その前提が崩れてしまい、活動休止に追い込まれたのである。

「貧困ポルノ」のグロテスクな構造

この騒動で最もグロテスクなのは、「弱さを売るビジネスを選んだ演者は、成功して幸せになることすら許されない」という構造になるのかもしれない。つまり、貧困ポルノの演者であり続けるためには、商品価値の暴落を避けるためにも、カメラの前で永遠に「うだつが上がらない孤独な弱者」を演じ続けなければならないということだ。

これは貧困ポルノの歴史を踏まえると、非常に興味深い。明治時代の松原岩五郎のルポルタージュ(『最暗黒の東京』)から始まった「他者の貧困を観測する消費行動」は、130年以上の時を経て、「演者自身が当事者(弱者)のロールを演じ続け、視聴者がそこに安寧を見いだす」という非常に倒錯したシステムへと進化してしまった。

前述の松原や、昭和・平成の漫画家・ルポライターの時代には、貧困層と読者の間に必ず「取材者・表現者」という媒介者が間に入っていた。だが、スマートフォンとプラットフォーム(YouTube、TikTok、Xなど)の登場により、当事者(あるいはそれを装う者!)が自らの過酷な日常を直接カメラに収め、ダイレクトに大衆へ売りつける「産地直送型の消費構造」が生まれた。

そこにおいて視聴者が消費したいのは、Web1.0(ウェブ1.0)の頃によく見かけたショックサイトのような「救いようのない生々しい悪夢」ではない。「どこか愛嬌があり、健気で、安全圏から見て楽しめる適度な悲惨さ(底辺Vlogや限界一人暮らし動画など)」なのだ。

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