政府が年内に改定する安全保障関連3文書に、原子力潜水艦(原潜)保有に関する記述を盛り込む案が浮上している。だが日本の原潜検討は今回が初めてではない。
1958年に作成された川崎重工業名義の試設計に始まり、60年代の官民の研究会、86年の海上自衛隊、2000年代の防衛庁と、原潜構想は何度も浮上しては「検討」のまま消えてきた。それでも、日本は1隻の原潜も保有していない。
またしても検討なのか。問われているのは、もはや検討ではなく決断ではないか。
10月15日付の日本経済新聞によれば、安保3文書には原潜を持つべきか「調査」「研究」すると書き込む案が出ている。
また、9月17日に開催された政府の第4回総合的な国力から安全保障を考える有識者会議では、原子炉の開発から乗員の養成まで「10年単位の時間を要する」として「導入」方針の明記を求める意見が出た。一方で「現時点で導入の結論を出すことは難しい」として、「検討」の明記にとどめるべきだという声もあった。
高市早苗首相は10月14日の衆院予算委員会で、原潜導入について「具体的かつ現実的な検討を深めていく」と述べた。小泉進次郎防衛相も同月9日の記者会見で「あらゆる選択肢を排除しない」と改めて語った。だが国会会議録や当時の報道をたどると、原潜は戦後日本で繰り返し検討されてきたテーマであることがわかる。
1958年、川崎重工の「計画計算書」
世界初の原潜「ノーチラス」の就役から4年後の1958年5月、「2500T 8000SHP 原子力潜水艦 原子動力装置 計画計算書」と題する文書が作られた。表紙の名義は川崎重工業株式会社。排水量2500トン、8000軸馬力の原潜に載せる原子動力装置の試設計だ。
この文書の存在が明らかになったのは16年後の1974年2月7日。衆議院予算委員会で、日本社会党の楢崎弥之助議員が現物を示し、政府を追及した。
楢崎議員が読み上げた「はしがき」によれば、当時唯一実用化されていた加圧水型炉(PWR)を採用し、将来は沸騰水型なども検討するとしていた。「あとがき」には「艦として成立するという一応の結論を得た」と記されていた。
1974年2月22日号の『朝日ジャーナル』で作家の吉原公一郎氏が引用した計算書によれば、熱出力35MWの炉で水中18ノット、260日間の連続航行を目指す設計だった。
この記事は会員限定です
残り 4064文字

