社会常識教習所としての小さな学校では、生活に必要な読み書きそろばん+αのみを教えます。そこにはたとえば週4日(3日でもいいかもしれない)、午前中だけ通い、給食を食べたら下校します。
極端な意見に聞こえるかもしれません。しかしこれは、やけくそでも冷笑でもありません。
人類が数百年後もまっとうに社会を営んでいるのだとしたら、その社会に暮らす未来のひとたちはきっと「大昔、21世紀のころには、子どもたちは全員毎日『学校』というところに行かされて学ばされていたんだって。びっくりだよね」という会話をしているのではないかと私は想像するのです。
「問題を生じさせた考え方(マインドセット)を手放さない限り、我々はその問題を解決できない」。——アインシュタインの言葉として知られる警句です。
『千と千尋の神隠し』の「カオナシ」になった学校
子どもの育ちにとって必要なことはもれなく学校で教えるべきだという思い込みを前提に、さらに急激に変化する社会状況にも対応すべく、学校は子どもに関することをすべて飲み込み、際限なく肥大化していきました。まるで映画『千と千尋の神隠し』のカオナシです。
だから、たとえば不登校になったとたんに、あらゆる学びから疎外されるのです。これを私は「学校依存社会」と名づけました。その脆弱性に気づいた私は、学校教育の機能をできるだけ地域社会に戻していかなければならないと考えるようになりました。


※ログイン後、コメント入力が可能です。