父が私を忘れた途端、なぜこんなにも心が楽になったのか。自分なりに調べてみると、医学的な用語ではないが「アダルト・チルドレン(以下:AC)」という言葉に行き着いた。
ACの傾向がある人には、以下のような特徴が表れやすいと言われている。
・周囲の機嫌や雰囲気に敏感で、人の顔色をうかがう
・自己肯定感が低い
上記はほんの一部だが、振り返ると私にも思い当たる点がいくつもある。幼少期の顔面焼酎事件から、嫌なことを嫌と言えなくなった。父がいつ暴れるかわからず、常に周囲の様子をうかがうようになった。そして大人になってからも「父をどうにかしないといけない」という、鉛のようにずっしりと重い責任感をずっと抱えていた。
ACは病気ではないので明確な治療法はないようだが、回復法の一種として「親と距離を取ること」が挙げられている。親と距離を取ることで「親不孝ではないか」と罪悪感を感じる人も多いようだが、それは子どもの頃に刷り込まれた使命感の残骸なんだそうだ。
私の場合、物理的な距離を取るだけでは本当の意味で安心することはできなかったし、父が息子と会いたがることで父との距離感に混乱した。しかし、父が私を忘れたことで、私はようやく父と自分の間に、はっきりと太い境界線を引くことができた。その境界線に、罪悪感を感じることもない。
できる範囲で手を差し伸べるけど…
今後もし父の介護をしている家族から助けを求められたら、できる範囲で手を差し伸べたいと思っている。それでも、父の人生そのものを背負うつもりはない。私は私の家庭を大切にして、自分の人生を自由に生きていい。40歳を目前にして、ようやく心からそう思えるようになった。
親の人生は親のものであり、私の人生は私のものだ。「親だから大切にしなければならない」と思う気持ちと「親と自分を別の人間として扱う」という選択は、両立してもいい。
私は今も、父との関係に明確な答えを出せたわけではないし、父を目の前にしたら何と呼ぶべきか戸惑ってしまうと思う。それでも、昔とは明らかに心の軽さが違う。
父を変えることも、過去をやり直すこともできない。それでも、これからの人生まで酔った父に左右される必要はない。そう思えるようになったことが、私にとっての「自由」なのだと思う。


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