大学を卒業してから司法試験の勉強を始めた近藤さん。しかし、最初の2年は、「受からないだろうな」と思いながら受験する記念受験でした。当時は大学を留年し続けながら司法浪人をする人も少なくありませんでした。留年していれば、大学に残ったまま司法試験の勉強環境を整えやすかったからです。近藤さんの場合は、卒業したうえで予備校に通うことを選んだため、「勉強環境には恵まれていました」と振り返ります。
「旧司法試験は、憲法・民法・刑法からなる択一(短答式)試験と、それに合格した者が受験する論文式試験、さらにその合格者が受ける口述試験という3段階の選抜がありました。論文が7科目あって、選択科目で心理学を選択したのですがこれが1浪目から割と面白くてハマりました。この2年くらいは、準備運動だから俺の中では『浪人じゃない』という認識でした」
当時の司法試験予備校の基本講座は2〜3年のコースが基本で、近藤さんの初受験はその講座の2年目にあたる時期でした。2年間はLECの通学コースに通った近藤さんですが、教材が一通り終わったこともあり、3年目からは、独学で論文の模試等を受けながら受験を重ねます。
「定期的に届けられる模試の問題を、時間を計って解いて送り返してコメントをもらう繰り返しでした。勉強の環境を考えた時、家じゃなくてもできるなと思って、最初の年は山に籠もって勉強していましたね。その次の年くらいからは3年くらい、スキーのインストラクターをしながら勉強をしていました。何歳の時にどこでやったかの記憶は曖昧ですが、父の事務所を手伝いながら受験した時期、予備校のチューターをしながら空き時間に六法全書を開いていた時期もあります。ただ、20代後半になってからは腰を据えて勉強していました」
いつになっても論文試験が突破できなかった
勉強を続けたおかげで、5〜6年目くらいから択一試験は突破できるようになった近藤さん。しかし、いつになっても論文試験は突破できるようにならなかったそうです。
「司法試験の論文ではA〜Gの評価がありました。予備校からはすべての科目をC〜Bの評価でそろえればよく、どれか一つでもGが入ると合格できないと言われていたのですが、自分は毎年A・Bの中に必ずF・Gが混ざってしまう…という状況でした。自分の中では完璧な論文を書いたつもりなのに、なぜGになるのかが最後までわからなかったです。Gの答案を自分で見ても『いいこと書いてるな』と思うので、わからないことがわからない、という状態でした。国語力の問題かもしれないが、採点者が何を求めているかが、ずっとつかめませんでしたね。国語が苦手だったことが響いているなと感じたことで、今でも自分の日本語能力には劣等感があります」


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