古謝氏自身の演説は、自らの政策を手堅くまとめているもので、私が聞いた演説では、玉城氏のように聴衆の感情を大きく揺さぶるタイプのものではなかった。興味深かったのは、古謝氏本人の演説ではあまり見えてこない人柄を、古謝氏の妻である古謝亜希子氏が演説で補っていたことだ。
亜希子氏は夫が「有言実行」の人であるといい、家庭での姿や性格を紹介した。また、対立するのではなく、沖縄の伝統やしきたりを重んじ、「ゆいまーる」の精神で互いに助け合っていくことの大切さを語った。そしてとりわけ強い口調で訴えたのは、再び沖縄を戦場にしないという決意だった。
「この美しい沖縄をもう2度と戦場にいたしません。私たちは5人の子どもを育てる親です。我が子を含む愛すべきこの沖縄の子どもたちにそんな負担を背負わせることは絶対にさせません」(古謝亜希子氏)
古謝氏は自民党をはじめとする中央政界の強力な支援を受けていた。辺野古移設や南西諸島の防衛力強化をめぐっては、そうした中央政府との近さに不安を感じる有権者もいるだろう。そうした選挙で、候補者の妻が「5人の子どもを育てる親」として「沖縄を戦場にしない」と訴える。その言葉は、少なくとも私には、古謝氏を支持することと平和を願うことは矛盾しないと語りかけているように聞こえた。
玉城氏が自ら聴衆の感情を揺さぶり、「自分たち」の物語を語っていたのに対し、古謝氏は政策を中心に語り、妻が夫の人柄に加え、対立ではなく助け合うこと、そして沖縄を再び戦場にしないという思いを語った。2人の演説が合わさることで、一人の候補者像が形づくられているように見えた。
「前」とはどちらなのだろう?
むしろ私が引っかかったのは、候補者本人よりも、中央から応援に来た政治家たちの演説だった。
「右でも左でもなく、前へ」
一見すると魅力的な言葉である。イデオロギーの対立を超えて、沖縄のために前に進もうというメッセージにも聞こえる。しかし、台湾を研究している私には、その「前」という言葉が妙に引っかかった。
「前」とは、どちらなのだろうか。
中央政府との関係を改善すれば、沖縄により多くの予算を持ってくることができる。経済を成長させることができる。応援に立った政治家たちは、沖縄の県民所得が全国でも低い水準にあることを何度も繰り返し、「このままでいいのか」と訴える。
もちろん、所得の問題は沖縄に暮らす人々にとって切実な問題であり、暮らしの改善を求めることは当然である。しかし、全国との格差を強調したうえで、「国とのパイプ」があればそれを変えられると畳みかける中央の政治家によるそういった語り口を聞いていると、私の頭には「札束で頬を叩く」という言葉さえよぎった。


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