ここで注目すべきは、制作陣がこの批判を受けて青島を若く見せる方向に演出を修正しなかった点だ。
公開に向けて展開されたポスタービジュアルは、97年のドラマ放送時と26年の現在、29年の時を超えて2人の青島俊作が並び立つ構成である。もちろん、現在の織田裕二演じる青島も、とても還暦間近とは思えないほど若々しいのだが、アラサーだった初期の青島と並んでしまうと、加齢による変化が強調されている。
一般的な“見た目マネジメント”の定石からすれば、これは不利な選択に見えるかもしれない。老いを感じさせる要素は、通常は隠す・和らげる方向で扱われることが多いからだ。しかし本作が選んだのは逆で、シワや白髪といった加齢の痕跡を、そのまま見せる道だった。
公開が近づくにつれて、批判の声は消えていった
なぜこの選択が、批判ではなく支持につながったのか。ここで働いているのが、青島俊作というキャラクターの本質と、演出の一致だ。
青島は、脱サラして刑事になり、現場で泥をかぶりながら走り続けてきた男として描かれてきた。エリートでも、華やかな存在でもない。その人物像に、作り込まれた若さではなく、現実の年月を感じさせる顔が重なったことで、「本当にこの29年間を生きてきた人間」という説得力が生まれた。
これは、見た目の情報が持つメッセージ性と、キャラクターが体現する物語のテーマが一致したときに、見る側の評価が反転しうることを示す例だと言える。
実際、本作の物語の核となる重大誘拐事件「225事案」では、AIが捜査の優先順位を決定する近未来的な警察組織が描かれ、劇中で青島は警視庁クリニックの医師から「刑事はもういらない」と告げられる場面がある。
つまり作品そのものが、「時代遅れになった人間の値打ち」を問う構成になっており、老いを隠さない青島の顔は、その問いに対する視覚的な答えにもなっている。


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