人が誰かの顔を見て「老けた」と感じるとき、そこには単なる観察以上の反応が起きている。
長年テレビや映画で見続けてきた「青島俊作」という顔は、視聴者の記憶の中で一種の基準点として固定化される。そして再会した際の実際の見た目が、その基準点から離れているほど、私たちは強い違和感を覚える。
これは「期待違反理論」と呼ばれる現象で説明できる(※1)。人は他者の外見や行動について、無意識のうちに一定の期待値を持っており、その期待から外れたときに感情的な反応が強くなる。
「14年ぶりに主役として帰ってくる青島」に対して、多くのファンが無意識に思い描いていたのは、97年の放送開始当時に代表される、記憶の中の若々しい姿だった。だからこそ、現在の58歳の顔とのギャップが、批判という形で表面化した。
制作陣は、なぜ「若返らせる」演出を選ばなかったのか
興味深いのは、「老けたな」という指摘と、「昔は昔でよいし、今は今でよい」という好意的な声が、当初から同時に存在していたことだ。復刻モノや、有名人の変化についてマイナスな意見が多数であることが多い中、「踊る大捜査線」については好意的な声も大きい。
そもそも同じ映像を見ているのに、なぜ評価がこれほど分かれるのか。
ここには「素朴実在論(ナイーブ・リアリズム)」と呼ばれる心理傾向が関わっている(※2)。人は自分が世界を見たままに、客観的に捉えていると信じ込みやすい。そのため、批判派は「老けたと感じるのは当然の事実だ」と確信し、擁護派は「変わらない良さが見えるのは当然だ」と確信する。
どちらも自分の知覚こそが“正しい現実”だと思っているために、意見が交わることなく並走し続ける。


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