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「ルポライター」という"蔑称"を名乗り続ける鎌田慧の矜持――見つめてきたのは「ちいさな一人」

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半世紀以上、働く人たちの現場から社会を捉えてきた鎌田慧さん(撮影:筆者)
  • 大月 えり奈 ルポライター・カメラマン・社会福祉士
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69年にフリーランスとして初めて取材したのは、長崎県の対馬。カドミウム汚染によるイタイイタイ病の発生が疑われていた地域だ。この頃、大企業が進出した場所では、鉱山や工場などから排出される有害物質によって、住民の健康被害が顕在化していた。鎌田さんは地区を歩き、病気のことを尋ねて回った。ところが、住んでいる人たちはそろってその存在を否定した。

〈はたして、対馬に公害があるのかないのか、もしあるとすれば、なぜ隠そうとするのか〉

粘り強く取材を重ねるうちに、内情が見えてきた。それは、住民が企業の強大な力に組み込まれ、生活の糧を失うことを恐れて自らの被害を隠さざるを得ない、根深いジレンマだった。その追い詰められた実態を、著書『ドキュメント 隠された公害』(1970)でつまびらかにした。鎌田さんが語る。

「企業城下町っていうのは、住民同士が対立してしまう。例えば水俣病が起きた熊本県水俣市では、従業員である労働者の家庭に患者が発生している。従業員である夫や妻、その子どもが水俣病になっていて、『被害者なのに加害者でもある』という二面性が存在していた。その人たちが被害を告発するのは容易じゃない。彼らには、その企業に勤めるエリートとしてのプライドがあるし、そこの給料で生活している。苦しい状況に置かれた労働者たちが、加害者として、漁民をはじめ、地元の人と対峙させられる。そういう矛盾を書いてきた」

『隠された公害』の出版から3年後、鎌田さんのところに一通の手紙が送られてきた。

「隠した公害をお知らせしますという内部告発だった。どんな風に公害を隠したのかが具体的に書かれていた。鉱業所から川に流れ出た汚染物質(カドミウム)を含んだ汚泥を、トラックで上流に運んで投げ捨てる。すると、鉱業所の上流から汚染されていることになり、厚生省の検査で自然汚染だという結論になったというものだった」

鎌田さんはこの内容を記事にまとめて雑誌に掲載。その後、朝日新聞も本社の一面トップで「公害隠し」を報じ、国会で取り上げられるまでに至った。

「告発文を送ってきたのは、実は、以前に会ったことがある元技術者だったんですよ」

手紙には、鎌田さんの行動に触発された心境が打ち明けられていた。良心の呵責に苛まれた末の、「正義に従って生きたい」という思いを、鎌田さんに託したのだ。

「潜入という意識はあまりない」

鎌田さんが次のテーマに選んだのは、北九州工業地帯の新日鉄(現・日本製鉄)八幡製鉄所だった。

「現地の人に『あの中で働くことはできないか』と聞いたら、『労働下宿に入れよ』と言うやつがいた。あそこに入ればすぐだよ、と」

地域にはいくつも労働下宿があり、八幡製鉄所に多くの日雇い労働者を下請け工として送り込んでいた。鎌田さんは、「せっかくだから」と最も悪評の高い下宿に入った。そこから、高炉でベルトコンベアの下に詰まった重い鉄粉をスコップで掻き出すという、命の危険を伴う現場に派遣される。仕事自体も過酷だったが、何といっても労働下宿が耐えられなかったという。

「まさに暴力飯場。労働者はよく殴られていたし、出入りも見張られた。六畳一間に7人が寝泊まりする圧迫感も辛くて、10日ぐらいで逃げ出した」

下宿で横行していたのは暴力と賃金搾取による強制労働だった。そして鎌田さんが製鉄所で目の当たりにしたのは、本工・下請け工・孫請け工という階層的な格差だった。

2作目の著書『死に絶えた風景』(1971)で、鎌田さんは初めて自分が働いた体験を書き記している。

〈現実に動かされ、現実に教えられながら、現実にむかっていく作風を、わたしはこの取材によって身につけることができた〉

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