スケートボードを息抜きに大学受験を乗り切った岡本は、本格的にスケートボードを再開。彼女がパークに帰ってきたことを知った仲間たちが、東京オリンピックのあの場面のように集まってきた。
「540に乗れた日は、(四十住)さくらちゃんのパークで一緒に滑っていたんです。『碧優なら乗れるっしょ!』『やっちゃえー』とみんなが励ましてくれたので、私も気分が高ぶって、試してみたらできました」
大会への復帰も四十住が道を作った。彼女がプロデュースするコンテストに岡本を招待したのだ。
再開して2カ月後の2025年7月。実に4年ぶりの競技会にもかかわらず、予選は1位通過。決勝は転倒して途中棄権したが、岡本にとって「新たなスケートボード」と出会った忘れられない日になった。
「東京オリンピックの前は、練習でも試合でも、パークではほかのスケーターとほとんど会話をすることはありませんでした。久しぶりに大会に出場して、子どもの頃一緒に滑っていた子たちとワイワイしゃべりながら滑るのが、本当に楽しかった。スケボーってこんなに楽しいものだってことを、思い出したんです」
孤高の勝利至上主義者から、仲間と楽しむスケートボーダーへ。変わったというよりは、原点に戻ったといったほうが正しいかもしれない。
アジア競技大会に出られれば…
楽しむことが第一。
当初は大会に出ることをあまり考えていなかった。しかし、10月の日本選手権で2位までに入れば、地元・愛知で開催される2026年のアジア競技大会の出場権を獲得できると知った岡本は、「アジア競技大会に出られれば、地元の友だちに観に来てって言える」と、気楽な気持ちでエントリーすることに。
「知人から『日本の女子のレベルは高いから、簡単ではない』と言われましたが、チャンスがあるなら挑戦してみようと思いました」。だが、出るからには負けたくない。大学の夏休みを利用して集中的に練習を行った。
迎えた大勝負。岡本は武器の540を成功させて2位に入り、アジア競技大会の切符を手にした。
2026年6月には、イタリア・ローマで行われたワールドカップで国際舞台に復帰。結果は14位敗退に終わったが、「MISUGU OKAMOTO IS BACK」と世界のスケートボードファンを歓喜させた。


※ログイン後、コメント入力が可能です。