こうした人材育成への投資は、店舗という枠を超えた展開にもつながっていく。小嶋氏が力を入れたのが「お屋敷がんこ」である。江戸初期の豪商・角倉了以の別邸や、美容家・山野愛子氏が暮らした住まい、大正期に地域に貢献した実業家の邸宅など、歴史的な建物を改装し、庭園を眺めながら和食を楽しめる店として蘇らせた。
料亭よりも敷居を低くしたこの業態は、現在、関西だけでなく、東京・立川を含めて全国8拠点にまで広がっている。この事業を始めたとき、母がことのほか喜んでくれたという。4坪半の店に毎日ご飯を運んだ母と、由緒ある邸宅で和食をふるまう息子。この2つの光景は、ドラマのオープニングとエンディングを見ているようだ。
小嶋氏の活躍の場は、次第に店外へ広がっていく。母校・同志社大学の同志社校友会では副会長を務め、当時校友会長を務めていた井上礼之氏(ダイキン工業会長兼CEO)と二人三脚で、後進の学生や卒業生の支援にもあたっていた。
2006年度から07年度にかけては、関西経済同友会の代表幹事を務めた。日本フードサービス協会の会長、大阪商工会議所の副会頭も歴任し、大阪最大級の「なにわ淀川花火大会」の大会会長も務める。4坪半の店の主人が、いつしか関西経済界を代表して発言する立場に立っていた。
15年の時点で、店は95店舗にまで広がった。17歳で店を継いでから、この時点ですでに63年が過ぎていた。
「創業者として責任を果たすべきときが来た」
だが、輝かしい歩みだけでは語り尽くせない。21年5月、贈答用の冷凍食品「笹蒸し寿司」の賞味期限が改ざんされ、234箱を販売していたと判明する。その後の調査で、菓子「とうふショコラ」でも改ざんが見つかった。小嶋氏は同年6月27日付で会長職を辞任した。
「組織に都合の悪い事柄を隠し、誤った判断をする組織風土に変質していた」と自ら組織の変質を認めたうえで、「創業者として責任を果たすべきときが来た」と辞任を決断した。無念であったろうが、潔い出処進退である。
後任の会長には、副会長だった東川浩之氏が就いた。以後、小嶋氏は経営の第一線から退き、4代目社長となった長男の達典氏を支え続けた。自分が築いた組織が経営理念から逸脱してしまっていたことを認め、言い訳に終始する道を選ばなかった。理念を組織の隅々まで行き渡らせ、それを保ち続けることは、言うは易く、行うは難しい。


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