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関西人おなじみ「頑固オヤジ」の素顔は偉大なイノベーターだった… 和食チェーン「がんこ」創業者がつむいだ一代記の神髄

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がんこ寿司
関西人なら一度は目にしたことがあるであろう「GANKO」の店舗(写真:共同)
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1969年に社長に就任した小嶋氏が率いる「小嶋商事」は、80年に「がんこフードサービス」へと社名を変更した。そして2019年、台湾に1号店を開き、海外進出に踏み出した。現在では台湾の台北、林口、台南の3拠点、シンガポールに1店舗、さらに香港にもフランチャイズ店を展開している。

海外での存在感が増す中、24年には社名を「GANKO」に変え、中長期的な海外事業の強化を見据えた体制に入った。看板の似顔絵ロゴは、社名が変わっても引き継がれている。

小嶋氏は老衰のため大阪市内の病院で91歳の生涯を閉じた。17歳で店を継いでから実に74年、商売の現場から離れることのない一生だった。亡くなった時点で、店舗は世界に約80を数えた。コロナ禍や21年の不祥事を経てもなお、世界で約80店を維持していることが、経営基盤の底堅さを物語っている。

訃報を受け、関西経済界からは相次いで惜しむ声が上がった。関西経済同友会の三笠裕司代表幹事(日本生命保険副会長)と長谷川一明代表幹事(JR西日本会長)は連名で、「大企業出身者が主流だったこの組織にあって初めて外食産業出身の代表幹事となり、たたき上げの経営者が放つ熱が同友会の活動に新たな深みを与えた」と振り返った。「いま活気づく大阪の街の向こうに、小嶋氏の頑固なまでの大阪への思いがある」とも述べている。

大阪商工会議所の鳥井信吾会頭(サントリーホールディングス副会長)も、「一代でGANKOを育て上げた立志伝中の企業家であり、外食産業の振興に並々ならぬ情熱を注ぎ、大阪経済の発展に大きく貢献した」と悼んだ。

経営は「人・物・カネ」ではない

新しいジャンルをつくるという高い志で起業し、経営にあたってきた小嶋氏は晩年、「経営は人・物・カネではありません。人・人・人です」と語っている。物やカネは後からついてくるものであり、人こそが最大の経営資源だという、長年の仕事の中で得た教訓だった。座右の銘とした「活人」の2文字にも、人を採り、人を育て、人を活かす、という一貫した方針が表れている。

時価という業界の慣習に逆らってすしの値段を明示した発想、のりを転売すれば数年分の利益になったにもかかわらず、それを断って本業を守った判断、そして不祥事の際に自らを裁いた厳しさ。それらに通底していたのは、何を変え、何を変えてはならないのかを自らに問い続ける姿勢だった。

仕事に妥協せず、よりよい店、よりよい料理、よりよい経営を追い求める一方、時代や客の変化には柔軟に対応し、すしに始まり、海外事業へと挑戦の幅を広げていった。

人を大切にし、時代の変化を敏感に捉え、変革に挑み続ける。一方で、創業以来の理念は守り抜く。挑戦を重ねても、自ら定めた原則には妥協しない。そのため、自らに厳しく、頑固であり続けた。看板に描かれた「頑固オヤジ」には、小嶋氏が商いで貫いた生き方が重なって見える。

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