開業当初、閑古鳥が鳴いていた。母は毎日、誰よりも早く店の扉を開けに来て、自宅で炊いたご飯をおかずとともに届け続けた。90歳を過ぎても新しい店ができるたびに顔を出し、96歳で亡くなるまで息子を励まし続けた人だった。
それから60年を超える飲食店経営を通じて、小嶋氏が重視した「どこよりも良いものを、どこよりも安く」という理念は変わらなかった。しかし、安さだけを追えば信用は失われ、良さだけを追えば客の手が届かなくなる。その両方を同時に満たそうとする商売は、口で言うほど簡単ではない。
69年、法人を設立して社長に就任してからは、とんかつ店、海鮮鍋料理「うどんちり」を出す店など、次々と業態を広げていく。すし一本で商売を続けていれば安定していたかもしれない。が、小嶋氏は、うまくいっている業態にとどまろうとはしなかった。
日本古来のすし、とんかつ、日本料理、うどん、そばを大衆の身近なものにし、良質な日本料理を手ごろな価格で提供する。伝統を受け継ぎながら、それを新しい形で広く届けることが、小嶋氏の目指した「新しい日本料理のジャンルを作る」という志だった。
醸造アルコールを添加するのが当たり前だった時代に、あえて純米酒にこだわり続ける。コメだけで造った酒こそ本物であり、おいしいはずだという考えからだった。
「目先の利益」より「将来の信頼」
安さを追い求めながら、同時に本物にこだわり続けた。がんこは、低価格を成り立たせるために、原価構造から提供方法、店舗運営までを一体で設計し、仕入れ・加工・配送・取引先管理までを連動させていた。
こうした合理性を徹底する一方で、小嶋氏の経営には、数字や効率だけでは捉えきれない判断の軸もあった。事業を続けるうえで何を大切にするのか。その根底には、神護寺の和尚から受けた「人としての自分を磨け」という教えがあった。この教えは、事業が苦境に立つたびに小嶋氏の判断を支えた。
70年、大阪で開かれた日本万国博覧会(大阪万博)のあと、小嶋氏は持ち帰り専門の巻きずしの小型店を始める。主力商品はのり巻きだった。


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