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キャリア・教育

関西人おなじみ「頑固オヤジ」の素顔は偉大なイノベーターだった… 和食チェーン「がんこ」創業者がつむいだ一代記の神髄

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がんこ寿司
関西人なら一度は目にしたことがあるであろう「GANKO」の店舗(写真:共同)
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1935年、和歌山県西牟婁郡上富田町に生まれる。実家はよろず屋で、鍋や衣類、日用品を商っていた。9歳で父を亡くし、以後は母が女手一つで店を切り盛りする姿を見て育った。

中学時代、「すべては自分の責任。他人のせいにしない」と説く先生に出会い、それまでの甘えを断ち切られる思いがしたという。高校2年のとき、母が過労で倒れる。姉たちはすでに嫁ぎ、兄たちも家を離れていた。6人兄弟の末っ子が17歳で店を継いだ。まだ大人になりきっていない年齢で、生活のすべてを背負うことになった。

戸惑いながら店に立つうち、小嶋少年は気づく。客は店主の年齢を見ていない。欲しいものを、欲しいときに、より安く買えるかどうかを見ている。ベテランの経験がなくとも、この1点さえ外さなければ商売は回る。

近所のどの店でも1冊ずつしか売っていなかったノートを、新学期の直前にまとめて安く売ったところ、あっという間に売り切れた。この経験は、のちの「どこよりも良いものを、どこよりも安く」という信条につながっていく。

母から聞かされた「商売の心得」

新しい仕入れのために資金が必要になったとき、地元の相互銀行の支店長は、高校生の小嶋氏に無担保で融資した。祖父の代から続く商売の実績と、新しい挑戦に踏み出す姿勢を高く評価したのだ。初めて社会から一人前として扱われた瞬間だった。

まだ何の実績もない小嶋氏に道を開いたのは、祖父や母が長年かけて築いてきた信用だった。その信用を支える商売の心得も、母は小嶋氏に伝えていた。

「泥棒さんもお客さんや」。小嶋氏が母から聞かされ、生涯耳から離れなかった言葉だ。たとえ相手が過ちを犯した人間でも、また来たいと思わせる接客ができれば、いずれお得意さんになると確信していた。この考え方は、顧客はもちろんのこと、従業員を大切にする、GANKO流の人本主義経営へつながる。

兄が実家に戻って店を継いだのを機に、同志社大学へ入学したが、すでに20歳を過ぎていた。同年代に比べて遅れていることへの焦りもあり、卒業後1年以内に起業すると決めた。それも、飲食業に絞る。その理由は、①少額資本で始められる 、②業界の近代化が遅れているため、かえって工夫の余地が大きい、という2点だった。

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