こうした批判のうねりを受け、文部省も学校の過度な管理主義を問題視せざるを得なくなりました。各都道府県の教育委員会に対して「校則を社会常識に照らし合わせて見直すように」という通達を出しました。これが1988年で、全国的な廃止への強力な後押しとなりました。
1989年に国連で「子どもの権利条約」が採択されたのも大きなことでした。「子どもも大人と同じように一人の人間として権利(自己決定権など)を持つ」という国際的な基準が示されたことで、日本の弁護士や教育学者も理不尽な校則を「人権問題」として追及しやすくなりました。
1990年に「神戸高塚高校校門圧死事件」が起きました。遅刻を取り締まるために教師が校門を強引に閉め、生徒が圧死したのです。「ルールを守らせるためなら生徒の命や安全すら軽視するのか」と、当時の異常な管理教育に対して激しい批判が起こりました。これを機に、髪型だけでなく「学校の校則そのものが異常だ」という社会的なバッシングが頂点に達しました。
野球部の丸刈りは蚊帳の外だった
1991年管理教育が特に厳しかった愛知県の岡崎市で、ついに市内初の「頭髪自由化」を達成する中学校が現れます。こうした「自治体・学校単位でのルール撤廃」が、全国各地で始まりました。
1993年、当時の赤松良子文部大臣が「丸刈りは兵隊を思い出しぞっとする」と発言し、これが頭髪自由化の流れを加速させました。また、同年に文部省が校則の見直しを指示し、校則を最小限のルールにとどめることや児童生徒の自主性尊重などを促しました。
このように丸刈りも含めた校則の見直しが進んできたのですが、野球部の丸刈りは蚊帳の外のような状態で継続してきました。理由としては次のようなものがあります。
◎校則見直し運動(1988〜93年)の対象外だった
校則見直し運動が対象にしたのは「明文化された学校全体のルール」であり、野球部の丸刈りは部活動の内規であり対象外だった
◎丸刈りが同調圧力として働き続けた
明文化されたルールはないのに伝統・文化として、無言の同調圧力が働き続けた
◎「精神論」と「自己犠牲」の視覚化
戦前からの軍隊的教育観が残り続け、「丸刈り=野球への真剣な覚悟の証明」という精神論が残っていた


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