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ライフ #子どもを本当に幸せにする「親の力」

学校で見かける機会は減ったのに「高校野球では"丸刈り"が残り続ける」のは、はたしていいことなのか

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(写真: m.Taira / PIXTA)
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◎OB(卒業生)の存在
部活動特有の強固なOB会などが、「自分たちも耐えたのだから」と過去の苦労の再生産を求め、「伝統」という無言の圧力によって事実上の強制として機能し続けた

◎メディアと企業の商業主義が作り上げた「高校球児像」の消費
巨大なエンタメである甲子園において、メディアと企業が「丸刈り=純真無垢な球児」というイメージを消費し、長髪をタブー視する空気を生んだ

◎「実用性」という便利な後付け理由
「蒸れない」「洗うのが簡単」「清潔」等の実用性が理由とされた。ただし、日米のプロ野球選手や他競技の選手の状況を見れば、丸刈りの合理的な理由にならないことは明白

丸刈りは戦争準備の1つとして始まった

ここまで歴史的な背景を見てきました。先述したように、1925年(大正14年)の「陸軍現役将校学校配属令」により、中学校(旧制)以上の学校で軍事教練が必須となったのが大きなきっかけです。つまり、丸刈りも軍隊式行進も詰襟学ランも戦争準備の1つとして始まったのです。

今の時代に、高校野球で丸刈りを続けることにどんな教育的意義があるのでしょうか? 価値観や社会のあり方が激変して、個人の個性や主体性や創造性が求められるこの時代に、伝統だから続けるという思考停止のままでいいのでしょうか?(まさか、次の戦争に備えるために丸刈り文化を残しておくということではないですよね)

丸刈りは軍隊式行進と同じく、個性や主体性や創造性を押しつぶす価値観の象徴ではないでしょうか?野球部の丸刈りも、部員は勝手なことをしないで監督やコーチの命令に従わなければならないという支配的な関係の象徴です。

昨今、どんなスポーツでも監督の命令に従うのではなく選手自身が考えることが大事だといわれています。サッカーの森保監督もそれを実践しています。「高校球児=丸刈り」は本当にナンセンスです。

それに、野球人口が減っているという現状についても考える必要があります。実際に、野球をやってみたかったけど丸刈りが嫌でやめておいたという子も少なからずいるのですから。

青森山田高校。17年ごろから脱「丸刈り」を進めている(写真:スポーツ報知/アフロ)

最後に念のため付け足しておきますが、私は丸刈りという髪型自体を問題にしているわけではありません。子どもでも大人でも、自らの主体的判断で、自分のお気に入りの髪型としてこれを選んだり、衛生面・経済面・利便性などの面から選んだりということは大いにありえることです。

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