有料会員登録 東洋経済オンラインとは
ビジネス #鉄道最前線

「赤い電車」名鉄、パノラマカー全盛期の記憶 流線形の旧型から気動車まで「何でもあり」のバラエティ

10分で読める
名鉄パノラマカー 犬山橋
道路との併用橋だった犬山橋を走る名鉄パノラマカー(撮影:南正時)

INDEX

【写真を見る】「赤い電車」名鉄、パノラマカー全盛期の記憶 流線形の旧型から気動車まで「何でもあり」のバラエティ(63枚)

「名鉄」の呼び名で知られる名古屋鉄道は「赤い電車」で親しまれてきた私鉄だ。近年は銀色のステンレス車両なども増え、車体全体が真っ赤な電車の割合は減ったが、それでも名鉄といえば赤い電車のイメージは変わらない。

「パノラマカー」を筆頭にさまざまな名車を生んできた名鉄は、かつてはそのパノラマカーとともに戦前の流線形車両や各種の旧型車、気動車特急「北アルプス」、さらに支線では大正生まれの車両も走るなどバラエティの豊富さでは大手私鉄の中でも群を抜いていた。そして、筆者にとって名鉄は「写真家への第一歩」でもあった。

今回は、パノラマカーが主役として活躍していたころの、かつての名鉄について振り返ってみたい。

鮮烈だった「パノラマカー」

福井県生まれの筆者は、ちょうど東海道新幹線の開業や東京オリンピック開催のころ数年間を名古屋で過ごした。名鉄常滑線沿線にあった叔母の家に下宿していたのである。最寄り駅は同線の柴田駅、あるいは隣の大同町駅だった。

【写真を見る】名車「パノラマカー」をはじめ、「なまず」「いもむし」のニックネームで呼ばれた戦前生まれの流線形電車やさまざまな旧型電車、国鉄直通の気動車特急「北アルプス」、大正時代の卵型電車が走っていた岐阜の支線など、バラエティに富んだ車両が走っていた懐かしの「名鉄」の姿

昭和30年代末、名鉄に初めて乗ったときの印象はよく覚えている。地方から大都市に出ただけに「地下駅」も新鮮だったが、一番はターミナルである新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)の乗り場の複雑さだ。今でもそうだが、同駅は2本の線路と3つのホームだけでさまざまな行き先の列車をさばいている。そして、乗った常滑線の電車は、形式は覚えていないが郷里の福井鉄道とさして変わらないような旧型車だった。

2/6 PAGES
3/6 PAGES
4/6 PAGES
5/6 PAGES
6/6 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ビジネス

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数